タイトルにいくつ意味を込めるべきか。
3は多い、という話をする。
理想は2、または2・5くらいだと思う。
先日松本清張賞が気になり、
受賞作の「凍る草原に、鐘は鳴る」を読んだ。
感想や評価はおいておくとして、
気になったのはタイトルだ。
意味が多すぎると思ったのだ。
「凍る草原」ですでに2つの意味を消費していると思う。
草原が凍るのは見たことがないから、
「草原」と「凍る」が組み合わされば、
2つの意味を使っていると思う。
「風の渡る草原」とか、「凍れる大地」ならば、
見たことがある組み合わせだから、
意味は1か1・5といったところだろう。
「鐘は鳴る」は2ではない。
鐘は鳴るもので、「鐘は鳴る」自体はよくある表現だからだ。
鐘が割れるとか、鐘を溶かすなら、2になるだろう。
変わったことだからね。
だからよくあるものとして、1と数える。
つまり、
「凍る草原に、鐘は鳴る」は、
3以上の意味を含んでいると僕は感じた。
数え方に法則はないけど、
あるとしたら「立っているものの数」で数えるべきかな。
凍る草原は二つの新しいものの組み合わせで2、
鐘と鳴るはよくある組み合わせで1、
と数えて、3と数えるべきだと思う。
つまり、
このタイトルは複雑だ。
3もあると、記憶が出来なくなるし、
イメージするのに時間がかかる。
「風の谷のナウシカ」よりもかかる。
「風の谷」は2ではないだろう。
特別な組み合わせではあるものの、
よく風が吹く谷は、よくあるイメージだから、
1か1・5だろう。
ナウシカは新しい概念だから1だ。
つまり、「風の谷のナウシカ」は、
2ないし2・5の意味(情報量)に過ぎない。
「大草原の小さな家」はどうだろう。
僕は2くらいだと感じる。
草原に大がついて、一瞬2くらいあるが、
大と小さながペアになっていることが分るので、
情報量は減ると思う。
草原と家というビジュアルがすぐに出てくるから、
意味は2程度だと思う。
草原で思い出したが、
「蒼き狼と白き牝鹿」というコーエーのゲームがあった。
これが全く覚えられなかった記憶がある。
狼と鹿は対句じゃないから2になるし、
蒼き狼というのはそれ自体はカッコイイが、
見たことがないからやはり2の意味だ。
白き牝鹿は1くらいの意味だけど、
蒼と白でも2の意味になるので、
とにかく意味が渋滞していた記憶がある。
だからこれはまったく覚えられず、
ジンギスカンのシミュレーションである、
という内容のほうで記憶している。
話を元に戻す。
「凍る草原に、鐘は鳴る」というタイトルは、
原題が、
「凍る草原に、絵は溶ける」だったらしい。
さらに意味不明になっているね。
(もっとも、内容を読めば理解はできる。
重要なネタバレなしに、後程議論する)
意味の数でいうと4くらいある。
改題の戦略は当たっている。
4は多いから減らそうぜ、という方針自体はいいと思う。
しかし3までしか減らなかったので、
記憶に残り、キャッチーで、
内容とズバリというタイトルにはならなかったと考える。
で、タイトルはどうあるべきか?
という話だ。
僕は本質を表しつつも、
期待するべきキャッチーさが必要だと考える。
タイトルが「期待の入口」であるべきだと考える。
期待なのだから、複雑でややこしいものはダメだ。
意味の数が多いと複雑に見える。
しかし通り一遍のタイトルではつまらないから、
工夫するべき部分ではある。
しかしその工夫は、意味を増やす方向にいってはならないと思うのだ。
この「凍る草原に、鐘は鳴る」は、
本質を示そうとしたタイトルである。
本編で、
精霊に対して「我々は無事である」と報告するために、
ある民族が鐘を鳴らし続けるシーンがある。
このストーリーのテーマであることの、
「苦難を乗り越えて新しく日常をつくっていくから、
精霊よ心配するな」
ということを言おうとしているわけだ。
でもそのことは、
何も知らない我々を、誘因する期待となっているだろうか?
ということだ。
だって結論だもの、これ。
「犯人は〇〇」なんてミステリーのタイトルを誰が見るだろうか?
一番大事な結論を、
タイトルにするべきではないだろう。
原題の「凍る草原に、絵は溶ける」のほうが、
結論ではなく、事件を表しているから、
まだましというものだ。
問題は「絵が溶ける」と言われて、
「???」としかならないところだろう。
注釈しておくと、
この小説はファンタジーのジャンルで、
モンゴル的な遊牧民の民族(それが「凍る草原」の部分)が、
ある日奇病が蔓延して、
「動体視力を失う」ような人間になってしまったことが大事件なのだ。
これまで動くものを見ていた目が、
静止しているものしか見れなくなってしまう、
という大事態に、
どうやって対処していくかという話である。
この話の主人公は若き演出家で、
「生き絵」という生演劇のようなものがあり、
それが見れなくなる、というのが、
「絵が溶ける」という部分だ。
どう考えても、
これを初見の、まだ内容を知らない人に向けるのは変だ。
本編を読めばわかることは、期待には必要ない。
爆発があるぞ、は期待になるが、
爆発をタイトルに入れる必要はない。
ちなみに「凍る草原」は出てこない。
じゃあこれは単なる「期待の惹句」だと考えられる。
つまり原題の「凍る草原に、絵は溶ける」は、
惹句+事件の構造をしている。
問題は、それぞれに2ずつ使ってしまい、
4の意味になってしまったことだ。
惹句はいらないと思った。
「溶けた絵」「草原に溶けた絵」で十分な気がする。
これじゃいまいちだな、
となって、
やっと、
「溶けた絵」をタイトルにするべきではないのでは?
ということに気づくべきだ。
「動かなくなってしまった草の原」とかでいいんじゃない?
どうしても事件をタイトルにしたいならば。
「生き絵師マーラ」(主人公名)でもよかったかも知れないよね。
あまり情報量がないが、
生き絵ってなんだよ、というフックはある。
少なくとも、凍る草原とか、鐘は鳴ることよりもだ。
「生き絵師マーラと溶けた絵」でも、
いいかもしれない。
意味の数でいうと2・5くらいだね。
絵の何かしらを生業とする人が、
絵の何かしらの問題を解決する話だろうということくらいは想像できる。
凍った草原に鐘が鳴っても期待できないが、
これなら事件に興味が出そうだ。
だけど「絵」という名称を使っておきながら、
実はこの話では演劇なんだよね。
だから本当は「絵」をタイトルに入れるべきじゃないと僕は思っている。
本編に関係あることになってしまうが、
「生き絵」というネーミングが間違っていたかもしれない。
絵じゃなくて動き、ということが本編では重要になってくるので、
静止した「絵」という言葉では、
本質をとらえていないと思った。
だから、
「馬の背に揺られた絵」とか、
「まったく関係ないが、関係あるもの」にしたほうが良かったのではないかと、
読み終えて思っている感じ。
これは意味でいうと2くらいだし。
絵を想像させると、情報量は減る。
「馬の背に揺れる絵」は、
言葉の情報量は多いが、
絵の情報量は少ない。
だから想像しやすいと思う。
「風の谷のナウシカ」は、
谷の前に立つ女だから、まあ想像しやすい。
もっとも僕は初見で、
ナウシカは王女ではなくシカかと思ったので、
まったく想像と違ったのだがね。
凍る草原でひとつの絵になっているのに、
そこにまた違うものを持ってくるから、
複雑になっているのだ。
一つの絵になっていない。
それだったらまだ「草原と溶ける絵」くらいに、
一方の情報量を落とせば、
イメージしやすいのだ。
その言葉のチョイスが最善とは思えないけど、
情報量だけで考えるとそうなる。
タイトルの意味を減らそう。
減らしすぎてもよくない。
「ロッキー」は意味が1しかなくて、
情報量不足だ。
スタローンを知らなかったり、
アカデミー賞受賞がなかったら、期待が持てないタイトルだ。
「RRR」もタイトルで損をしている、大傑作映画だ。
the stoRy of fiRe and wateR
のRRRなのだが、分りにくいことこの上ない。
「火の男と水の男」で十分だと思う。
これで意味は2くらいになるだろう。
「火の男と水の男の数奇な運命」でもいいけど、
ちょっと情報量が多いかな。
こんな風に、タイトルを考えていくことは、
つまり本編の本質とは何か?
本編の本質にもっとも適した入口は何か?
を考えることになるわけ。
それが絵になっていると、絵として意味を記憶できるので、
どういう絵を描くべきか、
という事は意識してもいいかもしれない。
意味は3は多い。
記憶できないし、絵として再現しにくい。
2か2・5を目指そう。
「天空の城ラピュタ」は、2・5を超えて3っぽいね。
「天空の城」ですでに2を使っているからね。
宮崎駿という才能が知られていなかった、
初見ならば絶対忌避された作品になっただろう。
とはいえ「天空の城」だけでは心もとないのはわかる。
「空の城ラピュタ」くらいに減らしておいたら、
ちょっとは興味が湧くかもしれないね。
「空」と「城」が反対語になって、
不思議な対句となって、意味がひとつにまとまるし。
2023年01月19日
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