2023年02月04日

大河的な物語の書き方

変化をうまく使おう。


それはたとえば、
立場の変化、見た目の変化、
考え方の変化、目的の変化、
世間の変化、などのことだ。

ハリウッド映画の二時間は、
大体二週間の出来事を描くのにちょうどいいらしい。
そんな短いことなんだ、
ってびっくりした記憶がある。

とはいえ、それだけのものではあるまい。
もっと長い時間を扱う映画はたくさんある。
しかし映画の扱う平均的な時間軸の長さに比べて、
大河物語や、シリーズ物や、長い小説のほうが、
はるかに長い時間軸を扱うことになる。

映画では登場人物は基本的に変化しなくて、
最後のほうに劇的に変化することで、
成長を示したりすることが多い。
だから「キャラは変わらない」というのが前提になっているように思う。

しかし大河的な物語は、
その前提を覆す表現がたくさんある。


立場の変化。

最初は身分のいい上流だったのに、今や日銭を稼ぐので精一杯の乞食。
庶民が成り上がって成功者になり、
すっかり変わってしまった。
リーダーになったことで、昔と顔つきまで変わってしまった。
などなど。転落や上昇、それに伴う見た目や考え方の変化までよく使われるだろう。
「すっかり変わってしまった」というのを使って、
あの頃を思い出してくれよ、
という展開になるか、あの頃と変わっていないなあ、になるかはストーリー次第かな。


見た目の変化。

使いやすい。身分の変化を現しやすい。
あるいは、
片目になる、義足義手になる、などの欠損も使いやすい。
車椅子や不治の病、というのもあるよね。
牢屋でつながれていた時間が長くて、
あの堅強な肉体が弱ってしまって、
なんてのもよくある。

子供が大人になっていたり、壮年が老人になっているパターンもよくある。
「あの頃とは違うのだ」を見た目で分りやすくさせる。
もちろん、死んでいたり、幽霊になっていたり、
サイボーグになっているパターンもあるよね。

鳥山明はよく登場人物の髪型を変える。
Dr.スランプの頃はびっくりしたものだ。
あの千兵衛ですら髪型変えてきたものね。
ドラゴンボールのヤムチャとか、ずいぶん変わったものなあ。


考え方の変化。

性格が変わってしまっていたり、
優先順位が変わることはよくある。
日常でも、子供が生まれてすっかり変わってしまう人もよくいる。
見た目は変わっていないのに、
立場が変わっただけで、
性格や考え方がすっかり変わってしまう人はたまにいるよね。

見た目とのギャップをつくると面白くなるだろう。


目的の変化。

復讐が目的だったのに、
今やすっかり自分の家族を守ることで精いっぱいになってしまったとか、
建国が目的だったのに、今は普通に暮らせればいいやとか。

見た目や性格や立場が変わってしまったように思えて、
実は目的は復讐一択だったのだ、
なんて展開も作りやすいよね。


世間の変化。

武士の時代から四民平等の時代に変わったのだ、とか、
スマホがなかった時代から、
誰もがネットをやる時代とか、
コロナがなかった時代と、コロナ禍の今とか。
昭和と令和とか。

50年もあればまったく時代は変わる。
10年でもだいぶ変化する。
人気者は移り変わり、いくつかの価値観は変わるだろう。
それを利用する。
見た目の風俗の変化や常識の変化を使って、
「それとは違って変わっていないのだ」とやってもいいし、
「それに合わせてすっかり変わってしまった」でもよい。


つまり、
大河物語的なことを表現するには、
「ものすごく時間がたったことを、利用できる」
と思うとよい。

何かの変化を使って、
「すっかり変わってしまったのだ、前のあれはもう意味がないのだ」なのか、
「すっかり変わってしまったが、変わっていないことがある」なのか、
が表現できるということだ。

かつて復讐を目指した身分の高い男が、
いまや片腕を失い、片目になり、
不治の病に侵されて、
ただめぐみを受けるだけの乞食になってしまったが、
復讐だけは忘れていなくて、
ずっとこのチャンスを待ち続けていたのだ、
とかは常套手段だけど、燃えるよね。

そういう風に「時間」すらも道具として使えるぜ、
ということさ。

街はすっかり変わってしまったが、
あの店だけは変わってなくて、
でもそこに集まる人々は変わってしまって、
もうこの店を存続させる理由がない、
とか、
新しい価値観になじめない老人たちが、
古い価値観のまま勝負して、昔の道具を使って勝ちに行く、
なんてシーンもいいよね。
博物館に飾ってある戦闘機がエンジンがかかるシーンとか、最高にいいわけだ。

こうした、「すっかり変わってしまったもの」
「変わっていないもの」を、
小道具に使えることが、
大河物語的なもののいいところだね。

かつて海があったところが埋めたてられていて、
なんてことも可能だろう。


映画二時間だと、そうしたことは使いづらい。
でもそれを意図的に織り込むことで、
とても時間が飛んだ話をつくることが出来るかもしれない。


インド映画「RRR」では二人の主人公のうちラーマが、
そのような変遷をたどる。

最初は白人を守る無敵の警官として登場し、
プライベートではいい兄ちゃんになる二面性が、
保安官長になった瞬間武器を流すためのインド人としての過去が語られ、
裏切者として投獄され、そして復活する。
こうした立場の変化をうまく使って、
数奇な運命を描いているわけだね。

当然見た目も変わり、
警官の頃はきっちりしたひげ剃りをしていて、
プライベートな時はややルーズになってて、
保安官長に出世したときは赤い服でいちばんきっちりしてて、
投獄されたときはもじゃもじゃになり、
ラストはラーマ神の格好になる。
それらを使い分けることで、
見た目は異なるものの、
秘めた目的はたったひとつ、
という感じが、燃えるんだよねえ。


あるいは、一代限りでなく、
三代続く話とかも大河的だ。
時代はだいぶ変わってしまい、
習慣や基本的な考え方すら変わるだろう。
じいさんの世代でやろうとしたことは、
現代の世代で意味がないかもしれない。
戦国ものでもそうだろうし、
何世代もかけて宇宙に移住する話とかもそういう感じになるよね。

見た目や考え方や何もかもすっかり変わってしまったが、
ただひとつ変わっていないことがある、
大体それがメインテーマにかかわってくるんだけどね。


そうした「長い時間の影響」をうまくストーリーに絡ませることが、
大河的な構図ならば可能だ。

もちろん使わなくてもいいし、使ってもいい。
でもせっかく時間を飛ばすならば、
その面白さを使うべきだと思うなあ。
posted by おおおかとしひこ at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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