tkenさんが面白いことを。
> 脳内発声のない人は例えば文章を読むときに五・七・五のリズムを頭の中で感じているのだろうか?韻を踏むフレーズと出会ったときにそれをどうイメージしているのだろうか?そのときだけ脳内発声のスイッチが入るようになっているのか?
以下僕の例を。(身近で脳内発声のない人がいないのでサンプル1)
ざっくりいうと、
韻文がとても苦手。
・俳句で、575のリズムはない。
・音による掛詞に気づかない。
・漢文の脚韻とかも気づかない。
・ラップの韻を踏んでるのも、文字で見ると気づかない。
このことから、音に関する感性も低くなり、
・駄洒落がわからないことがある。
・韻を踏んでるのも分からないことがある。
・歌詞は聞いてるのに意味を取れないことがある。
・人の話も聞くだけじゃ記憶できず、
文字にしないと記憶できないことがある。
・歌全般に苦手意識を持つ。オーディオ全般にも。
・声のトーンでニュアンスを聞き分けにくい。
・駄洒落をつくれない。
・韻を踏む文章をつくれない。
・発話そのものに苦手意識がある。書くのは全然OK。
・人前で発表するのは、敬語とか抜きの日常会話に言語を限ればなんとか。
(弊社は、とか、わたくしとかは使えない)
などの、音と言語全般に苦手がある。
日常に支障をきたす障害レベルではないと思うが、
かなり苦手だ。
自分は音痴だからかと思っていたが、
カラオケは歌えるようなので相対音感はある。
ということは、
言語の音声化、音声の言語化が苦手なはずだ。
もちろん、
脳内発声を意図的にオンにすることは出来るため、
俳句レベルでは575リズムを理解することができる。
ただ、オンしぱなしはしんどいな。
1分もたたずに自動でオフになる。
集中すれば、
ジャンプ一冊読むくらいまでは持つかも。一時間?
スポーツもそんなに得意じゃないから、
「リアルタイムで進行するもので、
同時に集中を分散させてリアルタイムで反応する必要があるもの」
全般が苦手な可能性がある。
一方、何かに過集中することがあるから、
集中力の使い方が人と異なる可能性。
あと、音に依存しないから、
どんなうるさいところでも、
脳内でノイズカットして無音空間にできる。
予備校時代は食堂でずっと勉強してたし、
ラジオをかけて受験勉強する流行りに乗れなかった。
(集中すると音が聞こえなくなる。
今でもカフェで執筆するが、
店内音楽が聞こえてきたら集中の途切れの目安にしている)
これがどうやら他人と違うぞ、
と気づいたのは高校から大学あたりかなあ。
それからは他人に合わせるフリをしてきたね。
超能力が使える人の社会の馴染み方と同じかもね。
タイピングでものすごくつまづき、
死ぬほど考えて、
脳内発声のない人が使えるタイピング方法が、
なかなかないのだ、
ということに気づくまでだいぶかかった。
逆に脳内発声のある人って、
考える時も喋ってるの?うるさくない?
あるいは、喋る速度に考えが規定されるから、
飛び越えた発想がしにくくない?
僕がクリエイティブ職だとかアイデアマンだとか、
頭の回転が速いとか言われるのは、
脳内発声がなく、概念だけで飛び越えるからではないか、
という気がしている。
脳内発声がある人がジャンプするのには、
音声分の時間がかかるのでは、と想像している。
2023年01月09日
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むしろしゃべってない人がいるのかとおどろきました。
自分以外の人の頭の使い方は聞くと面白いですね!
ああ、やっぱめっちゃ喋るのか。面白いもんですねえ。
あと、
数学とか法律とか、負荷の高いやつは脳内発声が多いですね。
指差し確認的になるんだと思います。
喋る人は主に一人だと想像しますが、
漫画で昔よくあった天使と悪魔的な、
複数の人格や立場の人が喋ることもあるんでしょうか。
それとも単純に「待てよ」とスピーカーが切り替わるんでしょうか。
僕の場合は主に一人が考えますが、
複数の考えが同時に湧くこともあり、
脳が同時多発的に並行処理をしてるんだろうなあ、
と観察することがあります。
(コーヒーとミルクみたいに、最終的にはうまく混ざる)