2023年01月11日

劇的アイロニー(「RRR」評5)

トップガンマーヴェリックが去年の120点だ。
アバター2は20点くらいかな。
それと同じ3時間のRRRは500点あると思う。
その魅力はものすごいパワフルさに尽きる。

脚本上の構造の面白さについて解説しておく。
ネタバレを含むが、
とくに問題ない程度のものだ。

劇的アイロニーについてである。


劇的アイロニー dramatic ironyは、
演劇の専門用語なのだが、
訳語が悪いなあと僕はいつも思っている。

ironyを「逆のこと」と意訳して、
「ストーリー上の逆」とでも訳したほうがまだ実体に近い。

その定義は、
「観客の知っていることを、
登場人物が知らないこと」である。

ヒッチコックは、
「テーブルの下に爆弾が仕掛けられていると観客は知っているが、
そこで団欒してる人は知らない状況。
いつその人が爆弾に気づくか
(あるいは気づかないまま爆死するか)、
観客はハラハラする」
例をあげている。

たとえばこの状況で、
イヤリングをテーブルの下に落とすとしよう。
思わず拾おうとする。
かがんだ時に爆弾に気づくのかと思いきや、
転がったイヤリングがテーブルの向こうから出てきて、
かがむ必要はなくなる、
みたいなやつだ。

猫がテーブルの下に入ってきて、
主人の足元に絡んでもいい。
猫はじっと爆弾を見て、舐めたりするが、
人間は気づかないわけだ。
猫じゃなくて、赤ん坊でもいいよね。

子供が寝っ転がりながら車のオモチャをブーンって転がしてきて、
爆弾にゴンってオモチャを当ててもいい。
その度に我々はハラハラするわけだ。
大人、早く気づいてと。



RRRでは、
「互いに正体を知らないまま出会った男二人が、
意気投合して仲良くなる」
という仕掛けが劇的アイロニーだ。

ラーマはイギリス領事館?の警官で、テロリストを追っている。
ビームは妹を助けるために、
その館に乗り込む機会を伺っている。

お互いの素性を知らないまま出会い、
意気投合してゆく過程で、
観客はハラハラするわけだ。
「いつビームがラーマが追う人物だと気づくのか」
「いつラーマがビームを阻止することで二人は戦うのか」
を、待ち続けることになる。

そしてそれは劇的にやって来るんだよね。
ミッドポイント、
最高のインターミッションにおいてだ。

つまり出会ってから90分、
この劇的アイロニー状態がつづく。
いつ正体がばれるの?
ばれたら大変なことになるぞ?
こんなに深入りしてしまって、
正体を知ったら戦わなくちゃいけないんだぞ?
と、
我々はずっとハラハラし続けるわけだ。

エロ本を隠してる俺の部屋に、
母ちゃんが掃除に入るどころの騒ぎではない。
チャック開けっぱなしで一日過ごしている、
どころの騒ぎではない。

命がかかったことなのに、
一方で、
まるで本当の兄弟のようだと意気投合して、
飯食ったり、弟の気になる女を落とすことに協力したり、
屋敷に招待されるまで協力し合うのだ。
その屋敷にはさらわれた妹がいることは、
観客は知っているが登場人物は知らない。
だからハラハラするのである。

実によくできた構造だ。


劇的アイロニーには、三つの段階がある。

まず、登場人物が知らない事実を見せる段階。
そして知らないまま色々やって、
観客がハラハラする段階。
そしてその事実を知ってしまった段階。

RRRの面白さは、
1と3にものすごくドラマチックなものを持ってきておいて、
間の2をコメディに仕立て上げたところだ。

弟が好きになってしまった屋敷のイギリス婦人。
なんとか話をつけられないかとコメディになる。

彼女と市場でデートする時も、
ちょっとした劇的アイロニーで笑わせる。
彼女は英語で、弟はインド語しか話せなくて、
言葉が通じない。
やっと名前を聞き出せたが、
彼女の「そんなかしこまった呼び方はやめて、ジェニーでいいわ」
をフルネームだと勘違いして、
彼が必死で名前を覚える様がとてもキュートである。

「観客は彼女のいってる意味を知ってるのに、
当人は分かってないこと」
の状態が劇的アイロニーである。
こうしたちょっとしたことがうまいんだよね。

ラーマは警官だから、
追ってる男(ビームの仲間の似顔絵)は持っているが、
「俺は人を探してる」「どんなだ見せてくれ」
と似顔絵を見せようとしたら風に飛ばされて、
泥水でぐしゃぐしゃになるのも、
劇的アイロニーだ。
観客は何が起こってるかわかってるのに、
登場人物には分かってない状態だ。

これでハラハラが継続するようになっている。
今回もことなきを得たが、
いつバレるんだ?と。

これを前半いっぱい引っ張った意味は、
あの劇的なミッドポイントで明らかになる。
もう最高のバトルが待ってるからね。
 


そして後半戦では、
さらなる劇的アイロニーがある。
兄ラーマの正体である。
なぜ彼はインド人でありながら、
敵のイギリス軍につくのか。
なぜ地位を上り詰めようとするのか。
それを知った我々は、
それをいつ弟ビームが知るのかを、
またハラハラしながら見守ることになる。

「そうか、そうだったのか…」と、
兄の行動の意味を弟が全部知る瞬間を、
待ち続ける。

そしてその後は大爆発だぜ。
この大爆発がこの物語のクライマックスへと繋がるのだ。
この、
二つの劇的アイロニー→大アクションの流れが、
この作品の脚本構造上の、
一番大きなブロックになると思う。




劇的アイロニーの三段階を、
いつ、どのようにして見せるかは、
完全に作者の掌の上だ。
それが見事であればあるほど、
もうどうにでもして、と観客はなってしまうのだ。

ストーリーテリングの基本であり、
究極奥義であるところの劇的アイロニー。
これを上手く使いこなせるようになりたいものだ。

全てをつまびらかにし、
全てがわかった状態で進むことだけがストーリーではない。
隠し事、正体を知る、などはストーリーの華だよね。
posted by おおおかとしひこ at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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