何がプロットで一番大事なことか?
矛盾や無理やご都合がないことだと思う。
それは、「納得がいくこと」ではないかと思う。
ある事件がある。それを解決する。
物語とはその間に存在する。
その解決の過程、
事件の詳細、解決したあとのこと、
などがプロットとして書かれる。
それがよくできているとはどういうことだろう?
矛盾がないことだ。
無理がないことだ。
回り道をしてない、最短距離での解決であることだ。
そして、誰もが納得する解決をしていることだ。
たとえば、
悪ではあるが、同情の余地がある人を、
殺して終わりだとモヤる。
もっと他の解決があったのではないかと。
納得がいき、悪を倒せてよかったなあ、というものでないと、
プロットとしての出来は悪いと思う。
あるいは、解決の仕方が、
別解があるのに、なぜそっちをしていないのか、
というものもモヤる。
これをしたほうがいいのに、
というものがあるのにそれをしない理由をちゃんとつくっておかないと、
納得や腑に落ちることがうまくいかないだろう。
納得がいく、とは、
「なるほど、それはベストの解決だ」ということだと思うわけだ。
大団円になるエンドが最上なのも、
みんな(登場人物すべて)が納得がいくからだろう。
つまり、
解決過程において、
無理があるものは納得がいかない。
別解があるのに選択していないものは納得がいかない。
無駄があって最短距離を進んでいないものは納得がいかない。
あほすぎて解決が遅れているのは納得がいかない。
頭が良すぎて理解できない解決も、納得はいかない。
矛盾しているものは納得がいかない。
理屈がきちんとないものは納得がいかない。
偶然が解決してしまうものや、デウスエクスマキナによる解決も納得がいかない。
主人公が、知恵と勇気と行動で、
問題を見事にベストに解決しているものでないと、
納得がいかないと思う。
逆にいうと、その納得こそが、
ストーリーだと思う。
「なるほど! それは一件落着!」
という風に解決するものこそが、
最良のストーリーだ。
プロットは、それを作るものである、
と思うと、
構え方が変わってくるのではないか?
登場人物の設定や、舞台の詳細設定などどうでもよくなるだろう。
事件がどういうものであるか、
そしてそれを解決していく過程で、
どれだけ楽しめて、
その解決の仕方で、なるほど見事、
となっているかを書くことが、
プロットであると分ると、
書き方も変わってくるのではないか。
プロットを書きなれていないと、
こういうコンセプトが楽しいんですよ、
という点を強調したり、
オープニングを凝ったりしたり、
途中ははしょってあとでなんとかしようと思ったり、
人物の魅力を書こうと思ってセリフを書き始めたり、
してしまうものである。
しかしこれはプロットには根本的にはいらないものだ。
プロットは、
どのような事件を、どのようにして納得のいく解決をしたかを書くものだ、
と考えると、
何が骨格か、分るのではないだろうか。
もし面白そうだが、
納得の行き方が中途半端なものを思い付いたら、
納得がいくようになるまでプロットを練るべきだと思う。
どんな行動をするのか。なぜそうするのか。
なぜAをしないでBをするのか。
それらが分るように書いていくことだ。
そしてそれがほんとうにベストの解決か、
論として正しいか、つまり三段論法や、
前のものが次のものに影響していて、
最後にまとまるような構造になっていて、
納得するものか、
ということを問い、そのように作り直すことである。
その納得が、ストーリーの満足だと思う。
好みの場面があったとか、
好みのアクションがあったとか、
好みのシチュエーションがあったとか、
好みの何かがあったとかは、
ストーリーの満足ではなく、
場面の、点の満足にすぎない。
ストーリーの満足、線の満足とは、
起こった事件が、
納得のいくような、
ベストの解決をしたから得られると、
僕は考えている。
納得のいくプロットは、
たかだかA4一枚程度で書けると思うよ。
ああ、それは良い解決だね、
となるプロットは、
そもそも問題がよくできていることが多い。
こういう問題を、このように解決するのか、
これは面白い、となるものをつくるようにしよう。
その納得の上に、
キャラクターのエピソードや行動や、
おもしろい場面というガワを乗せていく。
そうすると、
ガワでさんざん楽しんだのに、
最後に納得して満足するストーリーがつくれるわけだ。
2023年02月05日
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