2023年02月07日

天地がひっくり返る話を書こう

何もほんとうに、
物理的に天地がひっくり返らなくてもよい。
「その人にとって天地がひっくり返る」話であればよい。


会社が倒産した。
母が死んだ。
振られた。
自転車がパクられた。
パチンコが大外れだった。

まあなんでもいいんだよ。
その人にとって、天地がひっくり返るような衝撃的なことが、
どこであるかという話だ。

我々基準で、中のストーリーが展開しない。
あくまで、その主人公の世界観からの、
驚天動地であるはずだ。

我々は太陽が爆発したら天地がひっくり変えるような大騒ぎになるだろうが、
銀河系をまたにかけた銀河帝国では、
三日に一回くらいやっている空爆の日常かも知れない。

恋人に振られただけで、
世界が真っ暗になり、自殺したくなることだって全然ある。
会社が倒産しても気にしない強い人もいるし、
ああダメだと思う人だっている。
「その人にとっての天地がひっくり返ること」は、
どういうことかをつくっていく、ということだ。

その天地はつまり、
物語の天地になるわけだ。

銀河帝国の話ならば、
太陽は大した天地ではなく、
銀河系消滅くらいが天地になるだろう。

そのへんの大学生の話になるならば、
単位の取得が天地くらいになるんじゃないか。

それは、その世界で決まるということだ。


それをさらに逸脱したときに、
天地がひっくり返る。
単位の取得にきいきいしていた大学生が、
恋人に愛想をつかされると、
もう何もオレにはない、ってなるはずだ。


どれくらいが天地か?

天地は安定していると面白くない。
時間的な変化こそが、ストーリーであった。
ということは、環境や天地が、
どんどん変化してもいいんだよね。

大河物語はとくにそういう環境の変化、
時代の変化すらもストーリーの要素として入れ込んでくるよね。
そのような武器として、天地があるわけ。


この世界、この主人公、
あるいはこのわき役にとって、
何が天地がひっくり返るような出来事だろうか?

そしてその衝撃を観客と共有するには、
どうすればいいだろう?
この世界の常識をさりげなく示しておいて、
その枠組を超えるときに、
「なにいっ!?」という衝撃が生まれるだろうね。

時間軸とは予想も含むから、
それを超えていけばいいわけだ。


天地がひっくり返ったら、主人公はどうする?
しばらくは動けなくなるだろう。
しかし、
そこから最も動機を燃やして動き出すだろう。
つまり、もっとも衝撃を受ける、
天地がひっくり返るところは、
たいてい第二ターニングポイントの前の、
ボトムポイントにあるわけだね。

もちろん、つかみの部分にあってもよい。
でもほんとうに天地がひっくり返るのは、
ボトムポイントであるべきだろう。


天地をひっくり返せ。
どこでか? どれくらいか?
それは、ストリーテラーの、手のひらの上だ。
posted by おおおかとしひこ at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック