2023年02月15日

ヲタクの学園ものはなぜ生徒会になるのか

そういえば昔生徒会ものってやたら多かったなあ、
ということを思い出した。
今はどうか知らない。

その深層心理について。


おそらく、「何者にもなるのが怖い」からじゃなかったかと思う。
特定のサークルだと、
特定の色がつく。

政治に興味があります、という程度ならいいが、
〇〇党の活動を応援しています、
になると途端に政治色が強くなってしまうやつ。
日本人の無宗教というのもそれに近くて、
初詣はいくし、クリスマスイヴはやるし、墓には入るし、
手を合わせることはするが、
特定宗教の色がつくのは避けたい、
みたいなやつ。

野球部でもサッカー部でも、ダンベル部でも、
その色がつく。
色のない運動部というのはないから、
文化部で、なるべく色のないやつにする。
濃いやつ、将棋部や天文部は色がついてしまう。
かつてはヲタクの居場所として、
SF研やアニメ研というのが80年代にはあったが、
今はそんなのなさそうだしなあ。

だから、
集まって孤独を避けたいが、
とくに集まる理由がなく、
何者かになるために何かを目指す人々ではない、
みたいな、繭のような機能として、
「何もないサークル」が必要だったんじゃないか、
って思ったんだよね。

生徒会ならばまあ決まってすることはないし、
予算を決めることを本気でやっている人はいない。
それは学校で与えられた役割だからやっている、
という程度のことだろう。
(掃除をするとかと同じ程度のもの)

何かのプロを目指すような、大会を目指すような、
「何者かになる」という夢や目標を、
まだ見つけられていない、
行き場所のない若者の行き場所としての、
生徒会があったんじゃないか、ってこと。

おっさんの、いわばスナックかもしれないね。

おっさんは別にビールが飲みたかったり、
つまみを食べたり、ママを口説くためにスナックに行くんじゃないんだよね。
何物にもなっていないサラリーマン、
という抽象的な存在になりたいときに、
スナックに行くんじゃないかと思う。
モブ(エキストラ)になりたいとき、みたいなことだ。

生徒会ものは、そういう若者の心理の反映だったんじゃないかなあ、
ってちょっと思った。

時代が下って現代、
生徒会ものはあまり聞かない気がする。
なくなってはいないと思うが、
まあいい加減ネタ切れというのもあるだろう。

だから、ゆるサークルみたいな考え方、
必死で何者かになろうとするのではなく、
ゆるい感じで集まる感覚のものが出来たのではないか。
ゆるキャンとか、ぼっちざろっくとか。
趣味がなく、何物にもなっていない若者は、
ただ何もないです、というのが恥ずかしくなっているような社会になってきた。
だから何かをゆるくやっている、
というようなところでアイデンティティーをとりあえず確保して、
でも本気じゃないんですよ、
的なことにしようとしている感じかな。

中学でバレー部だったけど、
別にいまバレーをやっているわけじゃない、
くらいの、いい加減なアイデンティティー、
という感じか。

大学のテニスサークルは、
まじめにテニスをやるために集まるのではなく、
とりあえず集まって彼氏彼女を探すためにある。
テニサーはそういう前向きの目的があるが、
生徒会は、そういうものもない感じ。

バンドものは面倒な人間関係もあるし、
そもそもそんな才能もないし、
という、
「それをみたらコンプレックスを感じてしまうもの」
が、どんどん毒抜きをされていって、
ゆるいからいいよね、
的なものへと進化している気がする。
つまり、生徒会ものは、
そういうゆるいサークルものになっている感じがあるんだよね。


今僕は自作キーボードをゆるくやっている。
別に設計したりコミケでブースをつくっているわけじゃないが、
色々改造したりキーキャップをつくったりはしている。
キーボード界で何者かになり、成り上がたいわけじゃないが、
なんとなくそこでゆるゆると色んな人と喋っていたい感じ?
ああ、これは中学や高校のときの、
部活の部室でだらだらしている感じだなあ、
と思って、
その空気に僕は浸っている。

(かつて弊社演出部がそうだったのだが、
コロナで新しい働き方になってしまったので、
すっかりその影がなくなった)

今秋葉原でこれを書いているのだが、
秋葉原には、そんな若者たちがふらふらしていることが多いような気がする。
まあ渋谷もそうか。


何者かになろうとすると、
コンプレックスを刺激するから、
何者でもない話をつくるのがいいのか?
それはまあ日常系としては正しいだろう。
変化がない、だらだらとやっていく系だ。

映画はそうではない。
劇的な変化を描くものだ。
だから映画には、生徒会ものはほとんどないんじゃないかなあ。

つまり、映画には目的のある部活が選ばれる。
日常系には、目的が強くないものが選ばれるのではないか。
何者かになるのが怖い若者たち、ヲタクたちは、
だから日常系と生徒会ものを好むのだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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