となっているだろうか?
どうしてもそれを語りたいとき、
どんな手段を用いても語るのではないだろうか。
多少下手だったとしても、
多少まずい表現だったとしても、
とにかく語るためならば、
何を使ってもいいから語りたい、
という欲求があって、
だからラストまで書き抜けることになると思う。
途中で挫折することは多分ない。
あまり良い表現でなくて落ち込むことはあれど、
それしきで執筆が停止して、
挫折になることはほぼない。
だってどんなことをしても書きたいものだからね。
どうしてもそれを書きたい、という物語を書くべきだ。
これは受けるかなあ、
受けているらしいからこのパターンにしたけど、
なんてものを書いてもしょうがない。
それは熱がなく、
迫力も勢いもないだろう。
他人を巻き込むほどの熱量がないものは、
どうやったって巻きこめない。
誰かが何かを必死でやっているから、
見世物になるんだよね。
逆に、見世物というのは、必死でやっていないやつは、
あんまりおもしろくないよ。
カッコつけてすかしている大道芸人なんて、
こっちから願下げだよね。
もっと面白そうにやってくれないと、
こっちも盛り上がれないじゃんね。
で、「どうしてもそれを語りたい」という物語は、
どこまでの姿をしているだろうか?
というのが本題だ。
おそらく、最後までできているはずだ。
その物語の結果が出来ていて、
そのラストシーンの感じにみんなを巻き込みたくて、
どうしても書きたいんじゃないかな。
途中までしかできてないものを、
そこまでどうしても語りたい、
ということはほぼないだろう。
(頭の中の作業領域をあけたくて、
外に一回出す、みたいなことではない限り)
だから、
どうしても語りたい物語というのは、
ラストまでできていて、はじめてそのような衝動に取り憑かれることになるだろうね。
その衝動を持ちながら、
冷静になってみよう。
その勢いに巻き込めるには、
老獪なテクニックが役に立つかもしれないぞ。
ストレートに巻き込むのもいいけど、
テクニカルにその熱に巻き込むことをやってもいいのだ。
それでどうしても語りたい熱に巻き込んでいけば、
夢中になるものになるだろう。
(面白ければね)
どうしても語りたいという欲望は、
ある種の押し付けになる可能性もある。
たいして面白くないものを、
これを見ろと強制するものになる可能性もある。
だからテクニックを使え、というアドバイスは、
まあ分らなくもない。
でもどうしてもそれを語りたいならば、
最後まで書く根性はあるだろうから、
その勢いは、ずっと持っていたほうがいいぞ、
ということを書こうとしている。
どうしてもそれを書きたいならば、
なんとかして最後まで書くし、
そもそもラストが決まっているところへたどり着こうと頑張るし、
そのために多少は計画的になることが出来るだろう、
ということだ。
逆に、
どうしても書きたいものじゃないならば、
どこかで情熱が冷めて挫折してしまったり、
ラストが決まっていなくて迷子になったり、
計画的になれずに暴走したり、
することがとてもあるということだ。
まあまあこれは受けるだろうな、
というレベルに考えていると、
そのテンションまでしか巻きこめない。
だからハイテンションであれ。
嘘のテンションはバレるから、
ほんとうにテンションの上がる物語だけを書け。
そしてテンションの上がる原因は、
単なる点のシーンではなく、
物語全体そのものであるべきだ。
だからずっとコツコツ、最後まで書けるのではないか。
そうじゃないものは、
どこかで冷めてしまうと思うがね。
経験則。
嘘をつき続けられる人なら、その限りではないかもしれない。
2023年02月14日
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