2023年02月16日

共感の速度、感情移入の速度

共感は一発でも出来る。
感情移入はやや時間がかかると思う。
つまり、一発で出来るものではない。


共感はそれを知らない人には通用しない。
感情移入はそれを知らない人全員を巻き込むようにしていく。

共感はすぐに消える。
感情移入は、時間がたっても消えない。
共感は時代とともに変わる感覚だが、
感情移入はその文脈が分れば、いつでもその気持ちになれる。


共感は、みなの中にすでにある共通事項を、
どうやって描写するかでしかない。
ないものは描写しても共感されないし、
描写が下手だったらいまいちになる。
共通集合の、一番ピンポイントに刺さらないといけない。
当たれば即効性があるが、
当たらないと当たらないし、時代が経つとニュアンスが分らなくなってしまう。

一方感情移入は、
そこに至る事情やリアクションこみで、
徐々に至るものである。
だから時間がかかるし、一発で感情移入するといううことはないが、
(なくもないが、ピークまで一気に行くことはない)
一度それらを理解したら、
一生感情移入はできるものである。

つまり、共感は観客の中に最初からあったものを引き出すだけで、
感情移入は、観客の中に新しいものをインストールする作業である。

だから、感情移入は、その前提からスタートする。
共感は前提なしでも「あるある」ならばOKだ。

感情移入は、だからつくりが必要で、
だから時間がかかり、
段取りが必要で、
だから難しい。

その代わり、一度成功すれば、
一生その感覚は続く。
好きになった人は忘れられないのと同じだね。

感情移入は、
その人の陥った状況を理解させて、
「私はこの人ではないが、
もし私がこの立場だったら、同じことをするだろう」
と想像させることで入り込むことになると思われる。
だから、それがうまく描けていないと、
感情移入は失敗すると思う。
だから技術が必要だ。

共感はセンスだけで出来ることだと思う。
我々の集合的無意識を観察していれば、
なんとなく分るセンス、だけでいける。
逆にセンスがないと共感を描くことは難しいかもしれない。
これが、同世代の同クラスタしか描けない原因だと思う。
若い人が共感するものを、なんて老人はよく言うが、
それが通用するのは、
同世代同クラスタだけだけどね。

だから感情移入のほうが、
ターゲット幅は広いし、
うまく行けば深くなる。


映画は感情移入を狙う。
時間をたっぷりかければ可能だと思う。

CMやテレビは共感優先かもしれない。
チャンネルをすぐに変えられてしまうのでは、
という強迫観念があるようにも思える。
よほど面白ければそれはないはずだが、
それでもその恐怖をぬぐい切れていないことが、
テレビの弱点かもしれない。
もっとも、同世代の共感、みたいなものは、
強力な流行りが存在した、おっさん世代以上しかもはやないかもしれないがね。



だから、今後は共感というのは減ってきて、
きちんとした感情移入が尊ばれると僕は予想している。
しかしそれを共通言語として話せる人が、
なかなかいないだろう。
共感と感情移入はだいぶメカニズムが異なることを、
僕はこのブログで強調しているが、
理解して両者を使い分けられる人は、
なかなかでてこないだろうなとも思う。
それくらい、
感情移入には技術が必要だからだ。

何分あれば感情移入可能だろうかね。
分数ではないと思う。
深さで決まるのではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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