共感は一発でも出来る。
感情移入はやや時間がかかると思う。
つまり、一発で出来るものではない。
共感はそれを知らない人には通用しない。
感情移入はそれを知らない人全員を巻き込むようにしていく。
共感はすぐに消える。
感情移入は、時間がたっても消えない。
共感は時代とともに変わる感覚だが、
感情移入はその文脈が分れば、いつでもその気持ちになれる。
共感は、みなの中にすでにある共通事項を、
どうやって描写するかでしかない。
ないものは描写しても共感されないし、
描写が下手だったらいまいちになる。
共通集合の、一番ピンポイントに刺さらないといけない。
当たれば即効性があるが、
当たらないと当たらないし、時代が経つとニュアンスが分らなくなってしまう。
一方感情移入は、
そこに至る事情やリアクションこみで、
徐々に至るものである。
だから時間がかかるし、一発で感情移入するといううことはないが、
(なくもないが、ピークまで一気に行くことはない)
一度それらを理解したら、
一生感情移入はできるものである。
つまり、共感は観客の中に最初からあったものを引き出すだけで、
感情移入は、観客の中に新しいものをインストールする作業である。
だから、感情移入は、その前提からスタートする。
共感は前提なしでも「あるある」ならばOKだ。
感情移入は、だからつくりが必要で、
だから時間がかかり、
段取りが必要で、
だから難しい。
その代わり、一度成功すれば、
一生その感覚は続く。
好きになった人は忘れられないのと同じだね。
感情移入は、
その人の陥った状況を理解させて、
「私はこの人ではないが、
もし私がこの立場だったら、同じことをするだろう」
と想像させることで入り込むことになると思われる。
だから、それがうまく描けていないと、
感情移入は失敗すると思う。
だから技術が必要だ。
共感はセンスだけで出来ることだと思う。
我々の集合的無意識を観察していれば、
なんとなく分るセンス、だけでいける。
逆にセンスがないと共感を描くことは難しいかもしれない。
これが、同世代の同クラスタしか描けない原因だと思う。
若い人が共感するものを、なんて老人はよく言うが、
それが通用するのは、
同世代同クラスタだけだけどね。
だから感情移入のほうが、
ターゲット幅は広いし、
うまく行けば深くなる。
映画は感情移入を狙う。
時間をたっぷりかければ可能だと思う。
CMやテレビは共感優先かもしれない。
チャンネルをすぐに変えられてしまうのでは、
という強迫観念があるようにも思える。
よほど面白ければそれはないはずだが、
それでもその恐怖をぬぐい切れていないことが、
テレビの弱点かもしれない。
もっとも、同世代の共感、みたいなものは、
強力な流行りが存在した、おっさん世代以上しかもはやないかもしれないがね。
だから、今後は共感というのは減ってきて、
きちんとした感情移入が尊ばれると僕は予想している。
しかしそれを共通言語として話せる人が、
なかなかいないだろう。
共感と感情移入はだいぶメカニズムが異なることを、
僕はこのブログで強調しているが、
理解して両者を使い分けられる人は、
なかなかでてこないだろうなとも思う。
それくらい、
感情移入には技術が必要だからだ。
何分あれば感情移入可能だろうかね。
分数ではないと思う。
深さで決まるのではないだろうか。
2023年02月16日
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