伏線の基本は、最初のほうに使ったものを、
あとで使うことだ。
それをやるにはどうしたらいいか。
用心深く伏線を張る、技術的なものが必要なのか。
僕はそうは思わない。
「最初にあったものを、うまく再利用できないか?」
と考えたほうが、伏線を上手に使いこなすことが出来ると思う。
「これは伏線ですよ」とあからさまに出しても、
「普通に見せておいて、こんな目立たないところに伏線があったのだ」
だとしても、
そんなには機能しない。
伏線がもっとも効果的なのは、
「まさかそれをあとあと使うとは」だからだ。
その驚きを使うには、
作者でも意識していなった使い方が最上だと思う。
つまり、
最初に使って捨てていたものを拾ってくるのが、
作者でも観客でも気づかなかったことになる、
というわけだ。
終盤、
どうしても納得がいかないとき、
腑に落ちないときに、
最初に使って、あとで使っていない要素って何があるかなあ、
なんてことを考えるとよい。
序盤に、インパクトを求めて何かをしているだろう。
それは使い捨てになっていると思う。
インパクト重視というのは、
二回以上使えない要素が多いからね。
つまり、インパクトは出オチの花火が宿命である。
それをうまく拾ってきて、
「それを使うのかあ」というような使い方が出来たら、
たぶん終盤もうまく納得がいくし、
その伏線もまさかそういうことになるとは、
という驚きがあって、
伏線のまっとうな使い方に収まると思われる。
ちなみに、
序盤にインパクト狙いをひとつもしていないなら、
それはインパクト不足のつまらない脚本の可能性があるので、
そこは見直したほうがいいとは思うがね。
なぜ、序盤で使われたものが、
終盤でもう一度使われると、
納得が行きやすいんだろうか。
「最初からこれを語るために、
計算されてここまで来たのだ」
という感覚が強くなり、
「話は結論にさしかかったぞ」と予感できるから、
ではないかと思っている。
なんやかんやあって、
うまいこと展開させても、
なんかうまく落ちた感じがしないときは、
序盤に捨てたものを拾って来よう。
「序盤で出オチに使って、
捨てたやつあったろ」と思って、
それを拾いに行くといいよ。
そうするとブックエンドになって、
円環を閉じやすいんだよね。
最初に出ていた少年は、
これのために出ていたのか、とか、
最初にあった仕掛けは、
これのためにあったのか、とか、
うまくできている伏線は、
「まさかこういうことにあとで使われるのか」という驚きとともに、
「なるほど、最初にそれを振っていることで、
結論が上手に落ちている」
という納得とペアである。
驚きのほうが注目されやすいが、
納得のために伏線を使う、
という役割を忘れてはならない。
2023年02月21日
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