キーボードはカオスである。
混沌という意味もあるが、
その設計はカオス理論的だ。
つまり、初期値敏感性が非常に強いと僕は思う。
最初に重要な位置のキーを決めたら、
それは最後までほとんど動くことはない。
DFJKあたり、VMあたりは、
その配列の設計において、
ほぼ文字が入れ替わることはないんじゃないか。
薙刀式でもそうだったし、
新下駄、飛鳥でもそのように見える。
設計過程で動くのは、
マイナーカナであり、
周辺のカナだ。
中央のメジャーカナは、
設計過程でほぼ不動だと思う。
なぜなら、そのメジャーカナ同士の関係性が、
その配列の個性を決めるからで、
それの変更は、
「配列そのものの変更」を意味するので、
アイデンティティが崩れるからだ。
飛鳥のアイデンティティのひとつは、
左シフト右ホーム段での「です」「ます」のアルペジオだけど、
これをやめて左手にしたり、上段にすることは、
おそらく一回もなかったと思う。
ここにこれが来たことで、
飛鳥という生命が誕生したように感じるね。
配列設計の経験上、
あるいは他の人の配列設計を見ている経験上、
そこに決まったメジャー文字は動かない。
つまり、初期値敏感性だ。
仮にそこが最初に全然違ったら、
全く別のものになってしまうだろう、
ということだ。
なんなら配列として生成しない、
生命として誕生できないかも知れないよね。
薙刀式でいえば、
以下の部分は最初に決まり、
一度も揺れがない。
○○てし○ ○削るす○
○○とか○ ○あいう○
○○○こそ たなん○○
薙刀式の運指はここをベースにしていて、
ここから派生して帰着するようになっている。
その一番下の基盤のような部分だ。
もしこれが少しでも違ったら、
まったく違う配列になっただろうなあ、
と想像する。
それで完成した配列は、薙刀式とは、
おそらく似て非なる、全く別物になってしまうと想像する。
仮に、
左手のアルペジオを右手と対称的に同じにするために、
「か」と「し」を入れ替えて、
○○てか○
○○とし○
○○○こそ
という初期値から始めたら、
現在の薙刀式とそこだけ入れ替えた配列にはならないと思うんだよね。
カナ同士のネットワーク動線があって、
それがそこだけ違うように定着するとは思えない。
もっと自然な動線になると思う。
四足歩行とか二足歩行とか、
エラと肺とか、
生命においても初期値敏感性はたくさんありそうだ。
そんなカオス理論的なものを、
配列には感じる。
逆にいうとさ、
その初期値を決めたときに、
「この配列よくない?」ってなって、
生命が誕生したんだろうな。
その初期値が微妙だったら、
それ以上の追求がなくて、
配列という生命誕生に至らなかったんだと思う。
僕が機械計算配列がよくわからんと思うのは、
こうした生命としてのコア、
雷が落ちた感じがしないことなんだよね。
まあ、それでも合理的ならいいんだけど、
アイデアとしてはよくわからなくなる。
なので機械計算配列は、アイデンティティを見失いがち。
アイデンティティとはイデアでありアイデアだからね。
将来的に、量子コンピュータやら、
対話型AIやらが出来たとして、
計算配列を作れるようになったとしても、
初期値敏感性は存在し続けそうだ。
おそらく、人の認識が、アイデアを認識するからだと思う。
2023年01月23日
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