若手のうちは、
自分の個性や作風というものを、
出来るだけ早く確立しようとするものだ。
そんなものは臭くて食べられないぜ。
なるべく自分の個性をアピールしようとしてくる、
キャバクラ嬢とか嫌じゃない?
普通に可愛ければいいじゃない。
あなたはあなたの作品に、
自分の個性を丸ごと放り込もうとする。
あるいは、やりたかったことをすべて込めようとする。
それは過剰で、いらないものである。
若いうちは、個性を発揮しようとして、
どうしてもそこに濃い何かを残そうとしてしまう。
目立って〇〇風とか作風で覚えてもらいたいのかもしれない。
だがそれは臭みであり、そんなものはあまり歓迎されない。
あなた自身が好かれるかどうかは関係ない。
まずその作品が面白いかどうかに注力せよ。
面白い作品というものは、
自分からアピールしないものである。
押しが強いものは人は引く。
面白いものとは、観客が思わず身を乗り出すようなものであり、
それはどちらかといえば、
押してくるのではなく、引いていくものである。
引いていくから、僕ら観客は乗り出すのだ。
それを分かっていないから、
押しまくるわけだ。自分の特徴を入れ込もうとしてね。
それは多分面白くないだろう。
「ほら、面白いだろ? ほらほらほら」という、
まるで露出狂のようになっているのではないだろうか。
ためしに、
あなたの特徴は何も出ていない、
しかし純粋に面白いものをつくってみなさい。
誰がやったかまったく分らないが、
とても面白いものを。
それが名作になっていれば、勝手にみんなが、
「〇〇さんの作風はこうだ」なんて分析し始めるよ。
それでまったく別の作風のをつくったら、
「その二つの共通点はこれだ」なんて、
また勝手に分類を始めるだけのことである。
自分から作風を言う必要はない。
相手が勝手に〇〇風を解釈するだけのことだ。
逆に、〇〇風は面白いものの足枷になるよね。
本来その持ち味が生きるものを、
〇〇風にすることで殺すことになる。
なんでもかんでもカレーをかければいいわけではない。
その素材が、一番面白くなるように料理しなさい。
そこに作風というスケベ心を入れているものはバレる。
もっと職人に徹したほうが、
面白くなると思うよ。
面白さについてストイックになることだ。
面白さにノイズがあるものは、
やっぱりつまらないのだ。
あなたが追及するべきは、
面白さである。
作風を入れ込むことではない。
2023年02月23日
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