2023年02月23日

自分の色が出ているうちは、まだ作品じゃない

若手のうちは、
自分の個性や作風というものを、
出来るだけ早く確立しようとするものだ。

そんなものは臭くて食べられないぜ。


なるべく自分の個性をアピールしようとしてくる、
キャバクラ嬢とか嫌じゃない? 
普通に可愛ければいいじゃない。

あなたはあなたの作品に、
自分の個性を丸ごと放り込もうとする。
あるいは、やりたかったことをすべて込めようとする。
それは過剰で、いらないものである。

若いうちは、個性を発揮しようとして、
どうしてもそこに濃い何かを残そうとしてしまう。
目立って〇〇風とか作風で覚えてもらいたいのかもしれない。

だがそれは臭みであり、そんなものはあまり歓迎されない。
あなた自身が好かれるかどうかは関係ない。
まずその作品が面白いかどうかに注力せよ。


面白い作品というものは、
自分からアピールしないものである。

押しが強いものは人は引く。
面白いものとは、観客が思わず身を乗り出すようなものであり、
それはどちらかといえば、
押してくるのではなく、引いていくものである。
引いていくから、僕ら観客は乗り出すのだ。

それを分かっていないから、
押しまくるわけだ。自分の特徴を入れ込もうとしてね。
それは多分面白くないだろう。
「ほら、面白いだろ? ほらほらほら」という、
まるで露出狂のようになっているのではないだろうか。

ためしに、
あなたの特徴は何も出ていない、
しかし純粋に面白いものをつくってみなさい。
誰がやったかまったく分らないが、
とても面白いものを。

それが名作になっていれば、勝手にみんなが、
「〇〇さんの作風はこうだ」なんて分析し始めるよ。
それでまったく別の作風のをつくったら、
「その二つの共通点はこれだ」なんて、
また勝手に分類を始めるだけのことである。

自分から作風を言う必要はない。
相手が勝手に〇〇風を解釈するだけのことだ。


逆に、〇〇風は面白いものの足枷になるよね。
本来その持ち味が生きるものを、
〇〇風にすることで殺すことになる。
なんでもかんでもカレーをかければいいわけではない。

その素材が、一番面白くなるように料理しなさい。
そこに作風というスケベ心を入れているものはバレる。
もっと職人に徹したほうが、
面白くなると思うよ。

面白さについてストイックになることだ。
面白さにノイズがあるものは、
やっぱりつまらないのだ。

あなたが追及するべきは、
面白さである。
作風を入れ込むことではない。
posted by おおおかとしひこ at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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