柔道で「合わせ一本」というのがある。
技あり二本を取れば一本を取った、
という扱いだ。
白黒つけないといけない試合ゆえのルールだけど、
ストーリーにこれはないと思う。
ストーリーとは、つねに一本勝ちでなければならない。
どう一本勝ちをねらうか、決まり手は何か、
についての決まりはない。
柔道ならば決められたものがあるが、
ストーリーには決められたものはない。
むしろ、新しい決め手を創作するべきだろう。
伝統的には、
感動して涙を流したり、
爆笑したり、
悪がほろんで喜んだり、
どんでん返しでやられた、と思ったり、
などだと思う。
しかしそれには先駆者がたくさんいるので、
レッドオーシャンかもしれないね。
それを超えられるだけのものすごいものがつくれたら、
もちろん作るべきだろうがね。
で、じゃあ、まったく別の一本勝ちってなんだろう?
僕は、
「全体を通した満足感」だと思っている。
部分的なものや、
全体で矛盾しているものや、
一部だけ取り出せるものは、
一本勝ちにはならないと思っている。
一点勝負をすることはよくあるが、
それを引き出すために全体が機能しているべきであって、
そこだけがよくできていてもしょうがないのだ。
だから、なるほどこの全体のために、
すべての部分があったのか、
と納得するような、
有機的な構成やパーツになっているべきだ。
それは文章や思考というものがそうなっているからで、
適当に湧いてきて統一されていないものや、
矛盾が起こっているものは、
まとまった思考や文章ではないからだね。
ストーリーがまとまりがあり、
それそのものが一本として完成していないと、
部分だけ見ておしまいでいいと思うんだよね。
そうじゃなくて、
一本全部見たときに、
「なるほど」と腑に落ちるものをつくるべきだろう。
合わせ一本はない、というのは、
部分点だけ取っても、その全体点は取れない、
ということを意味している。
だから、「ここだけを見てください」とかって、
本来はないんだよね。
それじゃ部分点しかとっていないことになるからね。
全体が有機的に絡まり合っているものほど、
部分だけじゃ語れないものになると思う。
というか、
複雑な思考や文章は、
部分の集合以上にならないと、
なんの意味もないからね。
で、
それが一本を取るほど、
切れがあり、鮮やかであるべきだ、
というのが本題だ。
印象に残り、
皆にわかりやすく、
しかもこれまでなかった一本。
そういうものを目指すことだ。
もし、
今構想している者が、
迷路に入り、微細なものにこだわって、
わけが分らなくなってきたら、
この話を思い出すとよい。
これは全体として、
このような鮮やかさがあり、
このように見事に一本取るものなんですよ、
という風に捉えなおすとよい。
そうすると、
このごちゃごちゃを整理しなおして、
うまく組織化することを考え直すだろうからね。
常に一本勝ちだ。
合わせ一本はない。
よくプロデューサーは、
一点だけ部分点を取りたいとかいうけど、
それは全体を見ていない証拠だ。
あまり信用するべきじゃない。
ウリポイントとしての一点豪華はあるべきだが、
全体として一本勝ちできていないものは、
見ても面白くないし、満足しないよね。
我々が書くべきものは、一本勝ちだ。
背負い投げでも巴投げでもいい。
合わせ一本は二色にみえてしまう。
ツートンにならずに、一色にみえるようにしよう。
鮮やかに、豪快に、あっという間に、
印象的に、一本を取るにふさわしい、
スピードと威力に満ちたものであるべきだ。
2023年02月25日
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