2023年02月25日

合わせ一本はない

柔道で「合わせ一本」というのがある。
技あり二本を取れば一本を取った、
という扱いだ。
白黒つけないといけない試合ゆえのルールだけど、
ストーリーにこれはないと思う。
ストーリーとは、つねに一本勝ちでなければならない。


どう一本勝ちをねらうか、決まり手は何か、
についての決まりはない。
柔道ならば決められたものがあるが、
ストーリーには決められたものはない。
むしろ、新しい決め手を創作するべきだろう。

伝統的には、
感動して涙を流したり、
爆笑したり、
悪がほろんで喜んだり、
どんでん返しでやられた、と思ったり、
などだと思う。

しかしそれには先駆者がたくさんいるので、
レッドオーシャンかもしれないね。
それを超えられるだけのものすごいものがつくれたら、
もちろん作るべきだろうがね。

で、じゃあ、まったく別の一本勝ちってなんだろう?

僕は、
「全体を通した満足感」だと思っている。
部分的なものや、
全体で矛盾しているものや、
一部だけ取り出せるものは、
一本勝ちにはならないと思っている。
一点勝負をすることはよくあるが、
それを引き出すために全体が機能しているべきであって、
そこだけがよくできていてもしょうがないのだ。

だから、なるほどこの全体のために、
すべての部分があったのか、
と納得するような、
有機的な構成やパーツになっているべきだ。

それは文章や思考というものがそうなっているからで、
適当に湧いてきて統一されていないものや、
矛盾が起こっているものは、
まとまった思考や文章ではないからだね。

ストーリーがまとまりがあり、
それそのものが一本として完成していないと、
部分だけ見ておしまいでいいと思うんだよね。
そうじゃなくて、
一本全部見たときに、
「なるほど」と腑に落ちるものをつくるべきだろう。

合わせ一本はない、というのは、
部分点だけ取っても、その全体点は取れない、
ということを意味している。


だから、「ここだけを見てください」とかって、
本来はないんだよね。
それじゃ部分点しかとっていないことになるからね。
全体が有機的に絡まり合っているものほど、
部分だけじゃ語れないものになると思う。
というか、
複雑な思考や文章は、
部分の集合以上にならないと、
なんの意味もないからね。

で、
それが一本を取るほど、
切れがあり、鮮やかであるべきだ、
というのが本題だ。


印象に残り、
皆にわかりやすく、
しかもこれまでなかった一本。
そういうものを目指すことだ。

もし、
今構想している者が、
迷路に入り、微細なものにこだわって、
わけが分らなくなってきたら、
この話を思い出すとよい。

これは全体として、
このような鮮やかさがあり、
このように見事に一本取るものなんですよ、
という風に捉えなおすとよい。

そうすると、
このごちゃごちゃを整理しなおして、
うまく組織化することを考え直すだろうからね。


常に一本勝ちだ。
合わせ一本はない。
よくプロデューサーは、
一点だけ部分点を取りたいとかいうけど、
それは全体を見ていない証拠だ。
あまり信用するべきじゃない。
ウリポイントとしての一点豪華はあるべきだが、
全体として一本勝ちできていないものは、
見ても面白くないし、満足しないよね。


我々が書くべきものは、一本勝ちだ。
背負い投げでも巴投げでもいい。
合わせ一本は二色にみえてしまう。
ツートンにならずに、一色にみえるようにしよう。

鮮やかに、豪快に、あっという間に、
印象的に、一本を取るにふさわしい、
スピードと威力に満ちたものであるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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