こんなセリフを使ってみたいよね。
なぜこれがいいか考える前に、いろいろな例を考えてみよう。
アンタは夫としては最低だが、殺し屋としては最高だ
アンタは教師としては最低だが、男としては最高だ
アンタは軍師としては最低だが、戦士としては最高だ
アンタは神としては最低だが、人間としては最高だ
なんとなくだけど、対比的な言葉を入れるほうが、
面白くなりそうだということは分かるよね。
なぜこのセリフが面白いのかを解説する。
両極だからだ。
我々の認識は、両極端なABの間にある。
だから、
その認識の範囲の一方の端Aと、もう一方の端Bをしめして、
そこが世界であると示すと、
認識の範囲を定義できるわけ。
これから洋楽と邦楽の話をします、
というとそれがABになる。
これから関東エリアの話をします、
というとたとえばAが群馬になって、Bが神奈川になるわけだね。
古今東西だと範囲が広すぎるから、
AからBまでの間、と認識の世界の範囲を決めるのだ。
「情熱と冷静の間」と同じ文法だね。
このとき、
両極端な二つを出すと、
そこが振り子の振り幅になる。
世界の両端が決まるわけだね。
で、
「アンタはAとしては最低だが、Bとしては最高だ」
というセリフは、
その世界の両極端をしめした上で、
一方を最低、一方を最高というわけだ。
つまり、
両極端な世界の二重掛けになっているわけだね。
これが、扱う世界の端から端までを意味しているから、
このセリフは扱う世界の中で、もっとも極端なセリフになるんだね。
だから面白いと感じるわけだ。
たった一行で、世界のすべてを描写しているようになるからだ。
お釈迦様の掌を称して、
中指の先端から手首まで、としようか。
中指は最低だが、手首は最高だ、
というようなものだ。
それが、一人の小さな人間に対して向けられるから、
それが世界の最大の振り幅にみえる、
というわけだ。
これらを利用すれば、
「アンタは〇〇としては最低だが、〇〇としては最高だ」
というセリフをうまく使うと、
世界を横断できる、
ということがわかると思う。
最高の場面で使ってみよう。
あるいは逆の、最低の場面で使ってみよう。
そうすると、更に振り幅が大きく見えるはずだね。
やや翻訳調なのが、更に文学っぽさがあるよね。
リアルでは決して言わないセリフだけど、
フィクションでは時々使えて、
しかも決まるセリフというのがある。
それは文学調のほうがはまりやすいよね。
それらを全部利用したのが、
このセリフだ。
なかなか使いこなせるとは思えないが、
「あ、これ進研ゼミで見たやつだ」と思ったときは、
使ってみるといいよ。
2023年02月26日
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