2023年02月28日

途中で段取りを変えるのはありか

僕はありだと思う。
ただし、またプロットを練り直して、
「成立する」という確信があるときに限るが。


勢いがあるとき、
この勢いでいると、
プロットの計画通りでは勿体ないときがある。
順番や計画を変えて、
もっといい接続を思い付いたとしよう。
それは、その流れに乗っかったほうが、
よくなると僕は思う。

ただしそのことで計画が崩れるから、
それをフォローして、もとの計画にもどれるとき、
あるいは、もとの計画よりももっとよくなるときに限り、
変えればいいと思っている。
前の流れのほうがいいかも、微妙、
という判断ならば、
そこの流れの接続よりも、
全体で重要なことがあるから、
そこは無視して全体をとったほうがよくなると思う。


そもそも、その全体をつくったときは、
そんな細かいレベルのことまで考えていなかったことがとても多い。
だから現場でこういう事が起こっている、
という想定外のことはいくらでも起こる。
だから、アドリブで切り抜けて、
かつ計画のものよりもよくしていくしかない。


電通ビルの大失態があって、
フランス人が設計したので、
車止まりが右側通行前提で動線が設計してあったのだそうだ。
だから車は毎回Uターンしないと、車線合流も侵入もできない。
あほか。
現場を考えていない、あたまでっかちの設計でバカバカしくなる。
設計に関わった全員腹切りの刑だろう。
このせいで、いまだに電通ビルは車が止まりにくく、
車が出しにくい構造になっている。
あほちゃうか。

現場レベルで気づいても、手遅れだったのだろうか?
それはこうしたほうがいい、
とその場で設計しなおせる人がいなかったのか?
その体勢もあほちゃう、と思えるよね。

現場で左側通行用になっていないぞ、
と必ず発覚するから、
それを上申するだけでなく、
現場が再設計しない限り、
「ほら計画よりよくなりました」と示す機会はないと思う。
なので、現場で困ったことがあれば、
現場が設計を超える設計をしないといけない。

それのどっちがいいかは、
客観的な判断に任せるしかない。
すくなくとも、電通ビルは最低のやり方で出来たものだ。

僕はビルの設計が本業ではないが、
素人でも車がつけにくいことはわかる。
模型とかつくるんだよね。ビルの設計って。
あほちゃうか。
これ、ビルを壊すまであり続ける困難なんだよな。
あほの二乗だ。
未来永劫まであほちゃうかと言われるビル。

新橋駅から地上を歩き、突きあたったら右に迂回して、
そのまま奥まで歩くと見ることができる。
まず「右に迂回」で車的に変だとわかるよね。
そこから車のつもりで観光してみよう。
頭でっかちの現場を見ない象徴を観察できるぞ。



こういう例を見ながら、
現場で設計よりもよくなることに気づいたら、
その場で設計しなおすことがとても大事だ。

客観性がないと、
それがよいかどうか判断できない。
どういう客観性が必要かはなかなか難しいが、
少なくとも物語に関しては、
どっちが夢中で、どっちが面白くて、
どっちが矛盾がないか、で選ぶべきだと思っている。
posted by おおおかとしひこ at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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