2023年01月30日

企画書の書き方

「それが面白いと判断できない人用に書く」こと。


僕らは面白い/面白くないの目を持っていて、
その目利きこそがクリエイターの意味だ。

だけど企画書を見る人は、
その目がない人だ。
あればログラインを見ただけで、
ほうそうかおもしろい、とか、
おもしろさがないね、とか言える。

それが判断つかない、
目のない人向けに企画書を書くと良い。

つまり、
「ここが面白い」と、一言で把握できるワードを与えるとよい。
しかもそれは、
新しいことではなく、
「今良いと言われていることと、
どういう関係があるか」を示すと良い。

・○万部大ヒット原作の映画化
・今人気の○○要素と○○要素を組み合わせた
・○○要素を○○要素で新感覚にする
・人気芸能人が出るので○億見込める

ぐらいでよい。

「この面白さの本質は、○○○である」
という批評はいらない。
そんなのは批評家しか必要としていない。

企画書を見る人は、
金の出入りの読みだけだ。


もちろん、丁寧な人は、
「なぜ面白いと確信しているか、
説明してくれますか?」と聞いてくる。
それはクリエイターだからだ。

クリエイターじゃない人が、企画書を読む、
ということを念頭におこう。

そもそもクリエイターならば、
企画書はどうでもいいから台本見せろ、
というはずだし。

つまり、
台本を一文字も読まず、
クリエイター能力もない、
お金が儲かりますか儲かりませんか、
にしか興味のない人用に、
企画書は書きなさい。

つまり、企画書は、
「おもしろさと関係なく、これだけ儲かる根拠があります」
がどれだけ書けてるかできまる。

受ける、受けないとか関係ない。

数値的に受けそう、が判断できれば良い。
数値的に、だ。



僕は企画書を読む人を馬鹿にしている。
そんな人たちが映画を牛耳っていることが許せない。
それは映画の本質「おもしろい」から、
全く遠いからだ。
そんな企画書からおもしろい映画は出てこない。

だが、おもしろい映画を、
その企画書形式に変換して、
企画会議を通しさえすれば、
そのおもしろい映画はつくれるかも知れない。

僕は企画書を書くのが下手だ。
的確な批評家だからね。
批評は企画会議にはいらない。
ビジネスは内容の批評と関係ないところで動く。

じゃあビジネスとは何か、僕はまったく分からないが、
金がそれで動くしかないなら、
それをやるしかないのだろう。

絶望しながら、希望を持つしかないのだ。

仲間に向けて企画書を書くのではない。
敵に向けて書き、なお通せるものを書こう。
posted by おおおかとしひこ at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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