という言い方をしている人がいて、
いい表現だと思った。
qwertyローマ字とフリックが支配的な現在、
JISカナ配列に人権はあるだろうか。
オフィシャルに使用は認められているものの、
その切り替えの仕方を全員が知っているわけではないし、
共用PCでJISカナにしたあと放置されて、
戻せる人はほとんどいないため、
「やめてくれ」という非難のヘイトがたまるから、
人権があるかというとないだろう。
つまり、生存は認められているが、
本音では嫌われている、東京における関西人みたいな?
人権はあるがない、みたいな状態だと思う。
JISカナがローマ字より速ければすごいと扱われるだろうが、
qwertyより遅ければ、qwerty覚えろよ、
と暗に非難されそうだね。
僕が大阪から東京に来た時に、
「訛りを直せ(東京でやっていくならそっちが便利)」
と何回か憎まれたように言われ、
渋々標準語使いになったが、
方便としての標準語と、
ソウル言語としての二重生活を強いられている。
ここで矯正しなかったら、
東京での社会人生活に人権がなかったかも知れない。
それくらいには、JISカナ使いには人権はないだろうね。
周囲に理解者がいる、
たとえば関西弁を喋る人は集まりやすく、
クラスタを形成するように、
周囲にJISカナ使いがいれば、
JISカナには人権があろう。
この人権は、
憲法で認められた基本的人権と、
あいつ嫌い、なんか嫌、できればいなくなって欲しい、迷惑、
という心理的人権の、
二重の意味があるから難しい。
日本における移民への心理もそうだろう。
東京はしばらく前からコンビニやラーメン屋の店員で、
日本人がほぼいない。
そんな状況に感じる人権心理だね。
親指シフトはどうだろう。
薙刀式は、自作キーボードは。
それはそのようなものである、
という理解や認識、
そしてそれを認め合う社会になるのだろうか?
たとえば「会社で使えない」のは、
いかなる理由であれ、人権を認められないわけだ。
「セキュリティの面で」というが、
どのようなセキュリティリスクがあるのか開示してくれ。
業務上の秘密が漏れたりウイルスの混入のリスクはないやろ。
「知らないものを怖がる」原始人の意識に過ぎない。
これはこのようなものである、
という理解をされるのは、いつになるだろう。
個人個人が草の根で、
忍びのように人権を認められないまま、
こっそり活動を続けるしかない。
そういう人たちが増えて、
東京における関西村をつくるように、
クラスタを形成するしかないかも知れない。
あるいは世間に認められやすいのは、
飛び抜けた優秀な人を輩出することだ。
その人のメソッドが優秀だと知られれば、
知名度も上がり、人権は認められやすい。
心理的な人権は有名度と関係するからね。
飛び抜けた優秀な人に普及させても良い。
親指シフトは作家や編集者や記者に使い手が多いから、
人権の一角を確保しているような気がする。
文筆家は親指シフトなんてイメージ(ブランド)を形成してるが、
そのイメージを知らない人には人権がない。
自作キーボードの雄サリチル酸さんは、
小説家に積極的にアプローチして、
自作キーボードを貸し出して、
布教をしている。
それが人権の一部を確保し始めているように思う。
元々IT系の企業ならば、
エンジニアが自作キーボードを使うのはほぼ問題ない。
セキュリティリスクがないのは、
基盤と通信内容を見れば明らかだからだ。
一般会社のセキュリティは、無知だと思う。
物理がOKなら、論理はよりOKだろ。
その論理を構築するプログラムも、OKだろ。
セキュリティ認証さえ得られれば、
論理配列はオフィシャルに人権は得られる。
ただ心理的な人権は、まだ遠いだろう。
ということで、
有名人を輩出すれば、戦略的には人権が得られる。
関西人の東京における人権も、
吉本芸人のおかげだ。
配列クラスタを増やして、
有名人までリーチしよう。
あるいは、自分が有名になろう。
僕はコツコツと小説を書いているが、
賞を取ったら薙刀式のことしか話さない予定だ。
うまくいくかはギャンブルなので、
別の普及活動もするべきだ。
2023年02月03日
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