2023年02月04日

翻訳とは解釈である

正しく解釈されていれば、
どんな表現であれ、正しく伝わる。
言葉は道具にしか過ぎない。
問題はその道具で伝える意味の方だ。


Twitterから。
素晴らしいので全文引用。

> 裏舞台で騒いでるかほ@kaho_urabutai
> アメリカにも特撮好きな層がいるらしくて、シンケンジャーOPの歌詞を翻訳してるファンがいて最初の「ちゃんちゃんばらちゃんばらばら!ちゃんばらばらちゃんばら!」の所が「遠くで刀のぶつかり合う音が聞こえるかい!それが意味する事はただ一つ!侍戦隊シンケンジャー」って翻訳されてて天才と思った

遠くからだんだん近づいてくる、
クレッシェンドがワクワクするね。

原詞はいきなりチャンバラのど真ん中に視点があるが、
日本人にはチャンバラで通じる簡単な概念すら、
外人には馴染みがない。
だから期待、誘引からはじめて、
外人にもわかるサムライに落とす感じが、
キターって感じのオープニングになると思う。

背景の違いまで意識して、
なおかつ同じ気持ちにさせること。
実に素晴らしい仕事だ。
これが真の翻訳である。

聞いてるか?
カタカナタイトルにしかできない、
映画配給の無能宣伝部。
言葉が何一つあってなくても、
同じ気持ちに俺たちはなるんだ。
その気持ちに俺たちをさせろよ。

アバター: ウェイオブウォーターなんて、
訳のわからんタイトルにしてんじゃねえよ。

仲立ちに立つ者は、
両方を満足させろ。
それが出来ないなら、間に立つな。


いい翻訳を久しぶりに見た。
翻訳はなかなか気づかれない、
報われぬ仕事だと思う。
「へえ、こんな風に訳してんだあ」と、
気づかれない限り一生報われない。
しかし倒れない家がしっかりとした基礎に立ち、
手抜きがされていないように、
いい翻訳は歴史に残る。
posted by おおおかとしひこ at 20:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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