Chat GPT3についての解説が、
ちょうどいいバランスで書かれてあって、引用する。
https://twitter.com/snakajima/status/1621502198818701313?s=20&t=nuBq3L5WWDXQvnyw4gf0xg
で、僕はAIと人間の文章には大きな違いがあると思っている。
それは何か?
動機だ。
この文章がAIによって書かれたものか、
人間によって書かれたものかを考察する。
僕は後者だと考えている。
それは、この文章に動機を感じるからだ。
AIの文章を完全にあがめて、
もう文章家はいらないのだ、などと安易に結論付けるなよ、
うまく見せかけるのはうまいが、
中身が全然ないときもあるぞ、
盲信するなという、いわば警告が目的だ。
その動機があるからこそ、
内容の詳しい構造に立ちいることなく、
「物まねをしているだけである」
ということを中心に書かれていることがわかる。
Chat GPT3に漂う無機質な感じに比べて、
「なぜその文章を猛烈に書きたいのか」
という熱を感じ取れるよね。
「これを書いてどうしたいのか」までだ。
(まあなんならバズって承認欲求を得たい、
ということまでも読み取れるか)
警告が目的であり、
解説はその道具である。
AIに意志や目的はない。
「ある目的のために、手段を講じる」というAIはまだ出来ていない。
目的をどう選ぶか、というところからやらないといけないからで、
限定された空間なら可能かもしれない
(現状将棋ですらそれはない)が、
そこにはフレーム問題が立ちはだかるからね。
何がその問題の一番外のフレームか、
を決めることはなかなかに難しいのだ。
人間の大局的な見方しか、これを定義できない。
まあ、フレームの学習が可能かもしれない。
でも多分どの粒度でものを見ればいいか、
というチューニングは人間にしか、今のところ出来ていない。
ちなみに、なぜ僕がこの文章を書いているか?
だけど、
脚本のもっとも大事なことは動機だからだね。
それがあり、分るように書かないと、
おもしろい脚本にはならないからね。
熱を持ち、人を熱狂させるものは、
動機の熱さが重要だよね。
さらにその奥の僕の動機は、
ストーリーというものを理解して、分解して、
もっと面白い脚本を日本に増やしたいことだ。
つまらぬ邦画界を変えたい。
動機のない文章は、
正確だが面白くない。
客観テストでは合格するかもしれない。
しかし、人の心を動かしているか、
という主観テスト(がもしあれば)には不合格だろう。
2023年02月04日
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