新配列をやると、qwertyにはもはや戻れない、
という言い方をすることがある。
これは物理的には「戻れる」ことが分かっていて、
人間の技能の適応能力の広さがわかるものだ。
「戻れない」のは心理的にだ。
なぜなら、新配列の方が容易で、楽だからだ。
qwertyローマ字は、新配列より難しく、窮屈な配列である。
論点をまとめておく。
・左小指の酷使など、弱い指を強い指並みに要求されること。
・TYの遠いキーをよく使うこと。
・ホームポジションが意味をなさず、
上下段に偏ること。
・縦連や同指連打などの打ちにくいものが多数あること。
(KI、DE、YU、MU、ZA、I,、O.など)
・「ん」の不定形。次に来るものでNの回数が変わること。
・外来語で一番使う「ー」の遠さと、これを小指で取る無茶。
・運指のチャンク(打ちやすい一塊)が、
日本語の文節構造とは異なること。
・qwertyで打ちやすい指の流れが、日本語でよく使う言葉とは限らないこと。
逆に、qwertyで打ちにくい指の流れが、
日本語で滅多に出ない言葉ではないこと。
・つまり、日本語を書くためのベストの指リズムになっていないこと。
・左右交互やアルペジオがバラバラで、
日本語の言葉に対してランダムに起こりがちなこと。
・打鍵数が多く、万打鍵単位での蓄積はひどいこと。
・指の使用分布の偏りと上と合わせて、
手に歪みを蓄積しやすいこと。
・BS、エンター、カーソル、シフト、
全角半角、カタカナ変換ひらがな変換など、
日本語入力に必要なキーが遠いこと。
(ここを改善していない新配列もあるが)
・「」?!…()など、日本語で多用する記号が、
小指ばかりで大変打ちづらいこと。
(ここを改善していない新配列もあるが)
合理的な新配列は、
これらの問題点を多くの面で解消している。
だから快適で容易で、日本語を書くのに気持ちが良い。
それを一旦マスターしたら、
こんなに不快で難易度が高く、
日本語を書くのにリズムの悪い、
気持ちの悪い配列に、戻る気がしないだけだ。
ほとんどの日本人は、
qwerty配列が難易度が高く、不合理であることを、
隠蔽されて気づかないのではないか?
僕には日本人の生産性を落として、日本語を破壊するための、
陰謀じゃないかとすら思える。
こんなに使いにくい道具ないよ。
人を殺すために日本刀を渡さずに、こんにゃくを渡すレベルだ。
もし陰謀じゃなかったとしたら、
無知無策にも程があると思う。
フランス政府がBEPO配列を採用したように、
脱qwertyの流れを国語審議会なりデジタル庁が推進すべき時だが、
政治家には期待しないので、
僕はアルチザンとして活動することにする。
実際のところ、若者たちはqwertyをほとんど使えない。
フリックなら使える。
実質、フリックがデファクトスタンダードの地位を、
得つつあると思う。
だからPC離れが起きてるような気がするね。
でも知的生産はフリックじゃちょっとキツイので、
つまり日本は知的生産力は、
ガタ落ちするしかないんだね。
知的生産の前にqwertyが壁になっている。
ブラインドタッチ率30%が、
この壁の高さを語っている。
新配列をやる人は、ブラインドタッチ率100%だ。
文盲はいないわけだ。
つまり知的な人ほど新配列で知的生産をして、
情報弱者が難易度の高い配列で苦労しているという、
知的格差、配列格差が起きているとぼくは思っている。
さっさと薙刀式や新配列の世界に来いよ。
薙刀式で1500字(変換後)/10分で書ける僕ですら、
qwertyローマ字は難しく、530でしか書けない。
ただ難しいだけで、
毎10分で970/1500が失われている。
2023年02月13日
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