オチはいつ決めるのがいいか?
最初から書いて最後に至ったときに初めて考えるのか?
僕は序盤を作った時に、
ペアとして考えるべきだと思う。
なぜだろう。
目的地の決まっていない旅はフラフラするが、
目的地の決まっている旅は、
まっすぐ向かうことと寄り道を区別できるからである。
前者のフラフラは意図しないものだが、
後者はわざとフラフラさせられる。
アンコントロールのフラフラ人生と、
そのように見せかけたコントロール下のフラフラでは、
フラフラの精度が違うわけだね。
最初にオチを決めておくと、
そのオチに至る道筋がつくれる。
仮にABCDEと話が進んで、オチがEだとしよう。
オチを決めずに話をつくっていると、
途中Eに寄ってしまう可能性がある。
最初にオチを決めていれば、
そこに寄りそうになれば軌道修正が可能だ。
オチを決めずにEを描き、
そのあとずっと書いてしまい、
ラストシーンにたどり着いたら、
もう一度Eを言っても終わる気がしないので、
E以外の別のオチを探す必要があるわけ。
で、それってABCDEと進んできた流れとは、
別のところから探さなければならないため、
中折れした話にしかならないと考えられる。
論旨がすっきりとしないわけだ。
最初にオチを決めてれば、
ちゃんとAからはじめて、
Bへ向かう途中を勢いよくするのか、
寄り道してちょっと遊ぶのか、
次にCへ向かう途中を…
などのようにコントロールしながら、
話の起伏をEまで作りながらいける。
ジェットコースターの設計のようなものだ。
Eが決まってるからその前をどう作るかを考えられる。
Eが決まってないときに、
もう地面についちゃったジェットコースターは、
どんなに頑張っても勢いがないだろう。
どっちがキレのあるオチかは明らかだ。
もっとも、
プロット段階でEと決めていたとしても、
登場人物が暴れまくり、
プロット以上に面白くなり、
さらにいいオチを思いつくことは、
まれによくあることだ。
それはそのように書き換えるといいだろう。
あるいは、E以上のオチXを思いつき、
Xに向かって進むのだが、
やっぱりEの方が締まるわ、
と戻すこともある。
それはどちらでもいい。
面白い方をとることだ。
で、EとX両方を含む、
第三のオチを頭を捻って考えだしても良い。
最後まで書いてこないと、
その贅沢な悩みはないよね。
オチは最初に決めるべきことだ。
この話はどこに向かうのか分からない不安定感は、
この語り手を信用していいときはドキドキだが、
この語り手を信用できないときはイライラだ。
論旨のしっかりした話は、
語り手を信用させる。
2023年03月14日
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