2023年03月23日

あることをしたら世界が変わった

映画的物語は行動を基準にしてつくられる。
ただ言うだけで世界は変わらず、
行動の結果世界が変わる。

それを主人公の目線から見たら、
「あることをしたら世界が変わった」という風になるはずだ。


あるオペレーションを世界にしたら、
その世界がもとに戻らない変化をした、
というのが物語である。
よい変化をしたらハッピーエンド、
悪い変化をしたらバッドエンドだね。

主人公の行動は、
このような世界の変化で終わることになっている。
それが価値ある変化をしていたらハッピーエンド、
価値のない、マイナス方向の変化ならばバッドエンド、
ある種良いが、苦みを伴う場合はビターエンドになるわけだ。

行動は経験だ。
つまり、
主人公が行動して、経験した結果、
主人公は経験を積むことになる。

それはどのようなものであっても、
主人公に影響を与えることになる。
虚しさを経験して世を儚むことになることから、
悦びを体験して、良い方向に成長するまで、
色々な変化が、人生にはあるものだ。
経験が結果的に主人公に変化を与えて、
しかもその行動の結果世界が変わったことが、
物語における「ストーリーがあった証拠」だといってもよいだろう。

で、その主人公の変化と、世界の変化のペアが、
その物語の価値である。
最上のものは、
行動の結果、
主人公が良い方向に変化して(弱点を克服する、悪い考え方がよくなる、など)、
世界も良い方向に変化することだ。
つまり、
行動が、よい変化をもたらすことが、
物語が扱う領域ということになる。

行動したが、
たいして世界は変化しなかったとか、
行動したが、
その前後でたいした経験にはならず、
主人公は成長もしないし、何も内面の変化がない、
というのは、
物語として価値がないわけだ。


そして、変化というものは結果論だと思う。
「こう行動したら、こうなるだろうな」
という予測はあるにせよ、
ほんとうにそうなるかはわからない。
世界を良くしようとして、結果壊してしまうなんて、
よくあることだ。
良い経験をしようとして忙しい部署に飛び込んだが、
心を壊しただけだった、なんてこともよくあることだ。

変化は結果論だ。
変化が目的になるべきではない。
ある別の目的(地球を救うとか、問題を解決するとか)
のために行動した結果、
世界は結果的によくなり、
主人公の内面も結果的に成長している、
というのが最上の結果である。

それは作為的でなく、まったく自然である。
実際には、自然に見えるように作者によって、
綿密に計画されているのだが、
それは分らないようになっていて、
あまりにも自然な変化なので、
作為を感じないようになっているだけのことだ。


最終的には、
とくに意図がないが、
問題をただ解決しようとしたら、
それが解決したころには、
世界が少しだけよくなっていて、
主人公の内面、あるいはほかの登場人物の内面も、
よくなっている、
という結果論になっているのが、
ベストだと思う。

あることをしたら世界が変わった。
それが180度変わるのが理想だ。
その劇的変化こそを、ドラマチックという。
posted by おおおかとしひこ at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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