映画的物語は行動を基準にしてつくられる。
ただ言うだけで世界は変わらず、
行動の結果世界が変わる。
それを主人公の目線から見たら、
「あることをしたら世界が変わった」という風になるはずだ。
あるオペレーションを世界にしたら、
その世界がもとに戻らない変化をした、
というのが物語である。
よい変化をしたらハッピーエンド、
悪い変化をしたらバッドエンドだね。
主人公の行動は、
このような世界の変化で終わることになっている。
それが価値ある変化をしていたらハッピーエンド、
価値のない、マイナス方向の変化ならばバッドエンド、
ある種良いが、苦みを伴う場合はビターエンドになるわけだ。
行動は経験だ。
つまり、
主人公が行動して、経験した結果、
主人公は経験を積むことになる。
それはどのようなものであっても、
主人公に影響を与えることになる。
虚しさを経験して世を儚むことになることから、
悦びを体験して、良い方向に成長するまで、
色々な変化が、人生にはあるものだ。
経験が結果的に主人公に変化を与えて、
しかもその行動の結果世界が変わったことが、
物語における「ストーリーがあった証拠」だといってもよいだろう。
で、その主人公の変化と、世界の変化のペアが、
その物語の価値である。
最上のものは、
行動の結果、
主人公が良い方向に変化して(弱点を克服する、悪い考え方がよくなる、など)、
世界も良い方向に変化することだ。
つまり、
行動が、よい変化をもたらすことが、
物語が扱う領域ということになる。
行動したが、
たいして世界は変化しなかったとか、
行動したが、
その前後でたいした経験にはならず、
主人公は成長もしないし、何も内面の変化がない、
というのは、
物語として価値がないわけだ。
そして、変化というものは結果論だと思う。
「こう行動したら、こうなるだろうな」
という予測はあるにせよ、
ほんとうにそうなるかはわからない。
世界を良くしようとして、結果壊してしまうなんて、
よくあることだ。
良い経験をしようとして忙しい部署に飛び込んだが、
心を壊しただけだった、なんてこともよくあることだ。
変化は結果論だ。
変化が目的になるべきではない。
ある別の目的(地球を救うとか、問題を解決するとか)
のために行動した結果、
世界は結果的によくなり、
主人公の内面も結果的に成長している、
というのが最上の結果である。
それは作為的でなく、まったく自然である。
実際には、自然に見えるように作者によって、
綿密に計画されているのだが、
それは分らないようになっていて、
あまりにも自然な変化なので、
作為を感じないようになっているだけのことだ。
最終的には、
とくに意図がないが、
問題をただ解決しようとしたら、
それが解決したころには、
世界が少しだけよくなっていて、
主人公の内面、あるいはほかの登場人物の内面も、
よくなっている、
という結果論になっているのが、
ベストだと思う。
あることをしたら世界が変わった。
それが180度変わるのが理想だ。
その劇的変化こそを、ドラマチックという。
2023年03月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック