最後まで書くことはほんとうに難しい。
プロットが出来ていても、
実際に「終わり」まで書くことは困難なことで、
体力知力を尽くして書かないと、完結まで導くことは、
大変困難である。
世の中にアマチュア小説は数あれど、
きちんと完結しているものってそのうち何%かだ。
それくらい、
最後まで書くことは難しい。
それがなぜ難しいのかは、
いくつかの理由があるが、
今回は、
「目移り」が原因であるという話をしようか。
どういうことかというと、
後半になって、
「あれも入っていない、これも入っていない」
と焦ることがある、
ということだ。
「あれを入れなきゃ、これも入れなきゃ」
ってなってしまって、
後半コンセプトがぶれて、
バラバラになってしまうことは、
まれによくあることである。
こうなると完結できなくなってしまう。
話がバラバラだからだ。
なぜ「あれも入れなきゃ、これも入れなきゃ」
になってしまうのか。
僕は、
「完結すると、この話がただ一つの意味に定まってしまう」
ことが怖いからではないかと考えている。
完結しないときは、
どうにもなるような可能性のあったものが、
ひとつに収束してしまうわけだから、
「とてつもない可能性」が、
「ひとつの矮小化されたもの」に縮むのが、
怖いのではないかと僕は考えている。
大体前半戦が面白くて、
後半戦が微妙なものは、
こうした傾向にあると考える。
一年生のころは希望にあふれて、
どうにでも学園生活を過ごせる、
可能性の塊であったものが、
三年生になると、
やることはやって、やれなかったことはやれなくて、
もう将来が決まってしまった、
古びたものに見えてしまうことがある。
それが怖いのだ。
だから、まだ可能性がある、ぴかぴかの状態のものにしたくて、
「あれも入れたい、これも入れたい」
となるのではないかと思う。
「必要のないものは入れるな」
というのは原則であるが、
これを破ってしまう心理には、
「結論が出るのが怖い」があるからでは、
と僕は考えている。
このままいくと、大した結論にならないから、
それが怖くて、
可能性のある状態を続けて、
大きく見えている状態をキープしたいから、
色んな要素を入れることで、
それを維持しようとしている、
という心理じゃないかと思うわけだ。
それを除去するにはどうしたらいいか。
確定することを怖がらないことだ。
前半戦の可能性の化け物のような状態は、
後半には絞まり、
ひとつのものに収束する運命にある。
収束することを恐れないことだ。
それはひとつのテーマになるわけで、
そのテーマをいう事に、堂々としているべきだ。
大したことはないことに、
堂々としているべきだろう。
すごいテーマに胸を張る必要はない。
テーマの偉大さよりも物語に重要なのは、
テーマに落ちる見事さだ。
戦争反対、人類の多様性をうたう、
出来の悪い物語よりも、
「ケーキうまい」というよくできた物語のほうが、
価値がある。
感情がどれだけ動き、
どれだけそのテーマに深く感じいるか、
ということが重要だ。
そこに収束する気持ちよさをつくろう。
それが後半にやることだ。
前半の風呂敷を広げることしかやっていない、
つまり、毎度毎度挫折している人は、
この醍醐味を使った経験がないということになるわけ。
収束する気持ちよさは、
「その物語が一体何か」を顕すことになる。
それを怖がっているやつは、
まだ人生を一歩も進めていないやつだ。
2023年03月24日
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