今小説を手書きで書いている。
フリーハンド形式なので正確な文字数は不明だが、
これまでの経験で15万字くらいは書いたと見積もる。
(終了予定は20万字)
どうも最近右手が痛いと思ったら、
小指にペンダコが出来てた。
ちなみに僕の手のひらの小指側の骨には、
キーボードダコがある。
手首をつけて打っていたとき、
とくに手首を回転して撫で打つときの支点になってた、
と考えられる。
これは最近手首浮かしシステム
(バビロン、膝上、丹田など)によって、
だいぶ目立たなくなってきた。
しかしまさか21世紀に、
ペンダコ作るとは思ってなかったわ。
紙に手を置く時に、
ここが支点になってるわけではなく、
ただただ擦れ続けるのだろう。
鉛筆で書いた時、
よく右手の紙につく部分が黒くなってることがあるが、
僕は青ペンで書いてるので、
よく青くなってることがある。
別にそれ自体は苦ではなくて、
ものを書くとはそういうことだと思っている。
だけど、
薙刀式×MiniAxe×TANDEN
と工夫に工夫を重ねても、
このアナログに現在勝てていない。
勝ててないと無意識で判断するから、
僕は第一次原稿は、全部手書きでやっている。
キーボードで一次原稿は、
まだ感覚的にできない気がする。
ブログまでは余裕なんだがなあ。
そもそもカタナ式も薙刀式も、
「物語を書くための配列」
と名乗ったのであった。
清書やリライトにはバンバン使っているが、
一次原稿はまだ任せられない。
やっぱ漢字変換とかかなあ。
内容以外に気が散るものが多い気がする。
手書きで書いてる時、
右上に通しのページ番号を振っている。
でも興が乗ると、ページ番号を書くことすら気が散るから、
数ページにわたってページが振られていない紙が出るんだよね。
紙に積んだ順番もバラバラだから、
読み込んでページ数を特定する作業があとあと発生する。
たかがちょろっとページ番号書くだけだよ?
それすら内容の集中を妨げる要素になるんだよな。
ピアニストが観客の咳払い一つで、
気が散るのと同じだ。
漢字変換やミスタイプ修正なんかに、
気使ってられるかって感じ。
これくらいの過集中
(=他にリソースが回らない)が、
執筆には常に必要だ。
原稿の内容以外世界にない静かな感覚が、
1〜2時間途切れないわけだからね。
現在のIME、物理キーボード、論理配列は、
こうした俺の要求に、
まったく応えられていないと思う。
「他に頭のリソースを割くこと」が、
多すぎる気がする。
だったら、
ペンダコが出来てもアナログのほうが、
内容が良くなると僕は思う。
腹を痛めたから我が子が可愛いのではない。
ペンダコとキーボード腱鞘炎だと、
後者の方が痛いし。
つまり、現状のキーボードは、
アナログよりも肉体負荷が大きく、
アナログよりも集中力がそがれる。
いいことある?
あるいは、このアナログのシンプルさを超える可能性は、
キーボードにあるのだろうか?
2023年02月25日
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