今ちょっと和歌を調べてるんだけど、
「衣干すてふ 天の香具山」あたりで昔聞いた、
「てふ」が「ていふ」(現代語で「という」)
の省略形と知り、
古語でも「という」は頻出語だったんだなあ、
と思いを馳せた。
現代語では、「という」は頻出語だ。
どこかの文章作法で、
書き終えた文章から「という狩り」をせよ、
というのは聞いたことがある。
これも「書いてる間次を考える」系の語で、
意味をなしてないから、
ほとんどはカットできるそうだ。
これを聞いてから自分の文章でやってみると、
結構効果的なことに気づく。
別になくてもいい「という」が結構ある。
そもそも、
同じ語を何回も使うのは馬鹿の文章だ。
「という」ばっかり使ってるやつは、
たとえ内容が素晴らしくても馬鹿に見える。
「あー」「えーと」まで文字に書く人はいないけど、
「という」はつい書いちゃうんだね。
で、古語なんだけど、
省略形が生まれるほどに、
「という」は多用されたんだろうなあ。
575に収めるための省略か、
ふつうの文でもあったのかは不明だが、
なんにせよ「という狩り」が、
省略形という形であったんだね。
日本語はおもしろいなあ。
ちなみに薙刀式での「という」は、
DKLと、最速でロールオーバー可能だ。
だからつい増えちゃう。
このように、
「簡単な言葉は簡単に打てる」
ようになりたいものだ。
(今のところ大体なってる)
最新版v15(仮)でも、
「ふ」は;裏に移動したので、
「といふ」「てふ」も打ちやすくなったといへり?
2023年02月26日
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