2023年03月14日

センタークエスチョンとコンセプト

近所に貼り出された小さな自主映画のポスター。
典型的な脚本の書けてないタイプで、
だからダメなんだよと怒りに燃える。
自主っぽいから好きにすればいいけどさ、
これに付き合わされるスタッフは嫌だろうな。

そのポスターをさらしてみよう。


キービジュアルは、
北海道らしき雪原に、男が一人立っているもの。
吹雪いた感じで景色がはっきりしない。
タイトルはもう忘れた。
その、ビジュアルの弱さがすでに、
良い映画の条件から外れていて、
ハズレの匂いしかしないのだが、
裏を見てこりゃひどいと思う。
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文字起こししておくか。


戦士として生きることがお前の全てだ

STORY 遠い昔、世界の果てに、険しい山々に囲まれた
"ファリ"と"ネスタリコ"という2つの村があった。
長きに渡る寒波は、食糧難を生み、やがて2つの村は争いを始めた。
熱病も蔓延し、疲弊しきった人々には、もはや戦う気力は残されていなかった。
"ファリ"の村人ショウたちは、新天地を目指し、山越えを試みる。
しかし、古より、大地を囲む山々には"白獣"という魔物が潜んでいる伝説がある。
仲間が熱病に倒れて途方に暮れる中、一行は黄金の銃を持つ、
意識不明の男を救う。名はカサーー敵対する"ネスタリコ"で、
最強と呼ばれた戦士だった。


すげえつまんなそう、って僕は思った。

だってさ、
敵の戦士と出会って、揉めて、
そこに白獣が現れて、たぶん協力して、
山越えをする話でしょ?

その小さい話
(出会ってから白獣を倒すまで精々3日)に対して、
設定が壮大すぎない?

つまりこれは、設定に酔ってる話なんだよ。
だから素人臭えと思ったんだよね。


ファンタジーくさくしたのは、
予算のなさをカバーするためだからわかる。
仮に白獣を熊としようか。

そしたらこんな話になるはずだよね。


かねてからの飢饉で村は飢えている。
若い男たちで山越えをして、食料や薬を調達することになった。
だがその山には主の熊「白獣」がいる。
やつに喰われぬようにして山越えは可能なのか?
途中の道で出会ったのは、黄金の銃を持つ記憶喪失の男。
彼が記憶を取り戻してゆくにつれ、
彼は敵対する村の最強の戦士であり、
そもそも主人公たちの村の飢饉は、
その隣村のせいであることがわかる。


ちなみに僕は、つまらないあまり後半の、
「飢饉は敵対勢力のせい」という要素を入れてしまった。

敵対する村の敵対性をもっと強くしないと、
「敵なのに味方」という、
黄金銃の男とのコンフリクトが生まれないと思ったわけ。

元原稿では、
寒波のせいで食糧難というけれど、
永久凍土の村設定なら、自活できるはずがないから、
エスキモー的な狩りの話になるよね?
だとしたら、食糧難の原因は、肉を食らい尽くした白獣のせいであり、
寒波のせいじゃなくない?

他の村からの行商はないの?
唯一の外に通じる道が寒波で塞がれたのなら、
そこを通すことがセンタークエスチョンになるよね。

また、食糧難で争ってるくせに、
元気がないからイマイチ激しくないんだよね。
なんだよ疲弊してんのかよと。
略奪はどうなった?火はつけたのか?
人肉は食ったのか?
その辺がふわっとしすぎてて、
対立のコンフリクトが弱すぎる。

むしろ「米三粒を奪い合って、
隣村のやつらに父は殺された」主人公みたいに、
すぐ設定できるじゃんね?

そういうことが設定にない段階で、
ファンタジー世界をつくって精一杯だったんだろうなあ、
って思ってしまうわけ。

熱病いるかなあ。
熱病って熱いところのものだよね。
寒いところでは病にかかるより寒くて先に死ぬよね。
枷をかけようという余計な設定に見える。


で、
これらの整理されてないふわふわした設定のくせに、
「この話はなんだろう?」が見えてこないんだよな。

白獣を倒す話なのか、
食糧難を解決する話なのか、
敵対する村と仲良くなる話なのか、
山越えの話なのか、
全然見えてこない。

つまり、センタークエスチョンがとっ散らかってるわけ。

どう考えても、
黄金銃の男と仲良くなり、敵対村の誤解が解けて、
白獣を倒し、
山を越える、
という話しか見えてこなくて、
ここにオリジナリティや強烈な魅力があるとは思えない。

だから、こういう時はまず一つに絞るんだよ。
「白獣を倒さないと、山を越えられない」
みたいにね。

だから、
「村の食糧難を救うために、
主人公は山越えを決意する。
しかしそこには白獣という、最強の熊がいる。
食われずに山を越えられるか?」
という原始的なメインストーリーラインに、
集約するべきだと思うわけ。

とっ散らかってるなら、
整理しなければならない。

それ自体は、昔あった椋鳩十の小説のような、
マタギ的な世界観のように見えるから、
オリジナリティはないよね。

じゃあキャラクターでオリジナリティを出すしかないんだよね。
主人公の父親は米三粒のために殺されたとか、
黄金銃を持つ最強の敵とか。
敵にオリジナリティはあんまりないね。

仲間がいるならそっちでもいい。
あるいは、敵=白獣を、オリジナルの獣にするといい。
どの生物の進化系統にも属してない、
独立目をつくる種族であり、
人間を食うことで進化する、とかね。

でも多分自主映画だから、
「出てこない」オチじゃないかなあと思ってる。
適当な着ぐるみだと安っちいからね。


ということで、
この映画を、「どのようにして楽しめばいいか」
が、全く伝わってこないんだよ。
「険しい崖を越えなければならない」とかなら、
「崖の危険かー!」と楽しみに出来るし、
「一番嫌な奴を味方にしなければならない」だったら、
「どうやって?」って思うよね。
自分の人生のヒントにしたいもんね。

これをコンセプトという。


この映画は、
センタークエスチョンも、
コンセプトもはっきりしない。

だからつまらなそう。


もっとも、脚本はものすごく良くて、
名作かも知れない。
だがこのチラシは少なくとも最低の出来だ。



(追記)
これシャマランの「ヴィレッジ」と同じオチかな?
だとしたらもっと嘘ついて、前半の危機を煽らないと、
騙し討ちにならないよね。
posted by おおおかとしひこ at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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