まだこの話続けます。
動的な何かを表す言葉として、
プロレスの技を考える。
キックもチョップもパンチも、
動詞と名詞が同形だね。
フェイスロック、バックドロップ、
スープレックスホールド、
なども動詞と名詞が同形だ。
日本語だと?
正拳突き、上段回し蹴り、
寄り切り、突き出し、
四の字固め、首締め、
忍び走り、
などは、動詞の名詞化のようだ。
ダンスはどうだろう。
全然詳しくないのでググったら出てきたヒップホップのステップを見ると、
https://yuunosuke-dance.com/dance-step-name/amp/
動詞と名詞は半々くらいだね。
「技」は、
動詞と名詞の同形のもの、
動詞の名詞化、
動詞と関係ない名詞、
の3パターンがあるようだ。
おそらく、
動詞の数が、
技の数より少ないから、
名詞化したものがたくさんあるのだろう。
微妙なニュアンスの違いまで、
動詞のみでは表せないほど、
動詞は豊富でないにちがいない。
だから、動詞と名詞の同型で示せるのは、
かなり原始的な技、本質的な技ではないかと考えられる。
もう少し応用的なものならば、
動詞が名詞化したものになり、
それらで表現できない複雑なものが、
動詞とは関係ない名詞になるんじゃないか。
ロメロスペシャル、虎砲(陸奥圓明流)、
昇竜拳、キン肉バスター、スプラッシュマウンテン、
リーボック、ロジャーラビット、バタフライ
などなど。
これらは決まった形や、途中の形が、
その名の由来に近しいのかも知れないし、
まったくそうじゃないかも知れない。
虎砲なんて虎関係ないもんな。
「動きを示す言葉」は、
このような性質をもっている。
やはり微分的な捉え方しか、
できてないのかもしれないと思った。
ということで、
ストーリーという動的なものを考えることは、
言葉ではたいへん難しい、
ということを言おうとしている。
我々の脳の機構、言語体系的に無理なのでは?
という仮説である。
出来ないんだから、
変に言葉で捉えようとするな、
が正解かも知れない。
動きは流れであり、
流れる流れでしか表現できず、
静止した少ない言葉では難しいのだ。
だから僕はこのブログでは、
沢山の言葉を費やさないと、流れというものを捉えられないんだろう。
もっと短く端的に表現したいのだが、
どうしても言葉は多くなってしまう。
言葉をたくさん費やして、
流れをつくることは、
つまりは静止画をたくさん描いてアニメーションをつくることと、
本質的に同じなんじゃない?
微妙に近いものをつないで、
流れを作っていくんだね。
で、こうやって一行開けて、
そこまで近くないけど、流れは続いてますよ、
という小ジャンプをしたり、
もうちょっと離れてるけど続いてますよ、
になったり、全然違うところからはじめて、
流れを合流させたり、するのだろう。
つまり、
言葉を自在に垂れ流せなければ、
流れというのは生み出せない、
ということである。
なぜ沢山書くのか、という問いへの答えのひとつが、
これであろう。
もちろん、静止したわずかな言葉で、
動きを表現することは一部可能で、
俳句なんかはそういう芸術のジャンルである。
「あなたがいなくなった部屋の広さ」で、
あなたとの日々という時間を想うこともできるよね。
つまり、流れは言葉にではなく、
想像の中にあるわけ。
これは、シナリオでも同じである。
なぜシナリオは「現在形」で書くのか?
の答えがこれじゃない?
どうせ言葉は静止しか書くことができない。
だからそれを微分的に、
沢山並べてアニメーション的に、
流れを表現してるんだね。
なぜ、流れをとらえ、創作し、
そして整理することが難しいのか?
初心者が知っておくべき本質は、
実は言葉や我々の認識に根ざす、
こういうことなんだぜ、
というのは、誰も教えてくれない。
上級者向きの話なのかも知れないが、
ほんとは初心者のうちに知っておくべきことだよな。
我々の道具では我々のやろうとしてることは、
表現できないのだ。
しかしうまいことやればできる。
それがシナリオである、
ということだ。
2023年03月21日
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