2023年03月26日

自分を主人公にしないこと(「シン仮面ライダー」評5)

これはとてもよくあるシナリオのミスで、
つまりはメアリースーを呼ぶミスである。

以下ネタバレで。


今回の本郷は碇シンジと同じだった。

綾波と似たようなツンデレ、
似たような髪型、
似たような人造人間の、
ヒロインがいた。

チャラ男で、シンジと真反対の性格、
カヲルとそっくりの役割の、
一文字隼人がいただけだ。

結論は融合。

中身がシンジで、
外面やコミュ力がカヲルなのが、
庵野の理想ないし現実なのだろう。

ゲンドウなどの大人がいないエヴァ、
といっても間違いないキャラクター配置だった。

小うるさいアスカがいなかったのは、
仮面ライダーで当てはまるキャラがいなかったからだろう。
電波人間タックルがいれば、
アスカ的な性格にされてたかもね。


自分を主人公にすると、
無意識が出る。

抑圧する大人たちのいない楽園で、
カヲルの外面を被った、
ヒロインと融合した、
コミュ障で優柔不断な中身の、
最強の力を持つ人格になりたい。

これがメアリースーでなくてなんだろう。

馬鹿馬鹿しくて批評する気にもなれない。

これらを成立させる為の理屈が、
プラーナとかハビタットとかの、
ビジュアルすらなかった空疎な人類補完計画。
なんという焼き直しか。


自分を主人公にするとこうなるんだぜ。
アニメだと誤魔化せる。
実写はモロで、痛々しい。
posted by おおおかとしひこ at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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