一人の天才に任せて、後ろで膨大な人が文句をいう日本。
替えが効くシステムをつくり、工場のように生産するアメリカ。
ガワで企画書を書き、
祭りの期日を決めてプロジェクトを組み、
そこに脚本を間に合わせる日本。
脚本を買い上げ(この時点で脚本家が暮らしていける)、
様々な人間がリライトしていき、
完成してはじめてプロジェクトを組むアメリカ。
祭りの規模がデカければデカイほど、
天才が潰れる日本。
祭りの規模がデカければデカイほど、
天才たちが集まりやすいアメリカ。
戦争の仕組みが違う。
どちらがいい、というわけではない。
コンスタントに成功しやすいのはアメリカのシステム。
突出したものが生まれやすいのは日本。
失敗が多いのも日本。
そして昨今は、一人の天才が背負えないほどの物量が増えた。
そして、天才かどうかを理解して任せてないから、
天才じゃないと判明した時に、
取り戻せず、爆死するしかない運命を突き進むのも日本型。
天才が天才じゃなかったときも、
確実に面白い脚本理論を持ってるから、
爆死だけはコンスタントに避けられるアメリカ。
爆死したら会社を潰してやり直すアメリカ、
同じ会社が責任を負い続ける日本。
たしか東映ってスクリプトドクターがいるって聞いたことがあるが、
シン仮面ライダーにはいなかったのかね。
俺が雇われてもいいが?
あんな脚本にゴーを出した人々に責任がない、
というのはおかしい。
全員晒し首レベルだろ。
怒りのあまりうまく寝れない。
アメリカのやり方がベストとは思えない。
日本は奇襲システム以外に勝つ方法を知らないのは、
源頼朝以来変わってないのかも知れない。
「今回の作戦は失敗する」と、
脚本を読めばわかるはずだが、
なぜ作戦計画書を読める人間がいないのか?
天才の打率は100%ではない。
天才が打てない時も勝てる仕組みを、なぜつくれないのか?
大谷がいなくても勝てるチームづくりを、
日本はできないのだろうか?
インドのやり方ってどうなってるか、
調べる方法ある?
2023年03月26日
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