最初の小屋の緑川博士の説明部分一つとっても、
こいつ説明下手やな、としか思えない。
ただ立って、板付き(動かずに棒立ちのこと)で、
アップとロングを切り返してやってるだけやんけ。
以下ネタバレで。
他にも、
雪の山バックの、
本郷と一文字の一端の別れや、
海辺のシーンでの、
立花と本郷のシーンなど。
説明だけだと絵が持たないという思いか、
「いい背景」を探してきてるところが、
とてもアニメ的だ。
棒立ち芝居しかつけてないんだよな。
(そもそも棒立ち芝居でセルを稼いでる、
アニメ業界にも問題がある)
実写の芝居では、
あのような説明シーンでは、
歩きながらやる、座ったり立ったりする、
小道具をうまく使って象徴化して説明する、
たとえ話をする、
回想を挟んで、説明してる対象を示す、
などをするものだ。
Iの誕生くらいか、回想シーンがあったのは。
あと改造手術関係にイラスト説明があったか。
今回の根幹であるところの、
プラーナやハビタット計画に、
ひとつも絵がないのはどういうこと?
プラーナって結局999の命の火でしょ?
命の火は機械化人間が飲む「カプセル」として、
絵になってたぞ?
(これ自体は「グリーンソイル」のパクリだけどさ)
庵野、説明シーン下手なのでは?
もっとも、
説明にすべて絵をつけてたら、
アクションの予算がなくなっただろう。
予算のかけどころはまあよし。
せめてうまくたとえ話にしたり、
話をちゃんと理解させるように芝居の動線をつけるべきだろう。
バカでもわかるように脚本を書くアメリカと、
説明はヲタクだけ理解してバカはアクションだけ見とけと、
割り切る庵野脚本。
下手なのは庵野である。
で、プラーナがグリーンソイル以来の伝統的なもので、
ハビタット計画が人類補完計画と同じもので、
新しさがないことが、
ヲタク的な大失敗なのでは?
2023年03月26日
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