シンウルトラマンでも思ったこと。
30分ものの、怪人登場、倒す、
という一話完結ループものを、
映画にすることの無理性について。
以下シンウルトラマンこみでネタバレ。
蜘蛛男、
蝙蝠男、
蠍女(インサート扱い)
蜂女、
二号ライダー(ジャブ程度)、
カメレオンカマキリ、
偽ライダー、
蝶男。
計8怪人と考えてよいか。
仮に30分×8のもののオムニバスならば、
まあ悪くないラインナップだね。
でも「一気に見る」映画としては、
全然面白くなかった。
なぜか?
これまで僕が議論してきたことと同じだ。
スプレッドに過ぎないからだ。
同じ質のものが並べられて、
話が進まないことが、
スプレッドの問題点だ。
もしこれが「一本のもの」になっていれば、
蜘蛛男を倒した経験をもって、
蝙蝠男を倒し、
その成果によって蠍女、蜂女を撃破、
のように、
「一連の必然性」でつながるはずだ。
しかも、
危機の連続すら必然性がなければならない。
蜘蛛、蝙蝠、蠍、蜂には、
なんら連鎖の必然がない。
蜘蛛の6本腕を改良した8本腕とか、
そのような危機が連鎖になっていない。
完全にランダムエンカウントである。
だからつまらないのだ。
30分一話完結ものは、ランダムエンカウントでもいいんだよね。
来週になったら我々の感覚はリセットされてるからさ。
でも一気に見るものはリセットがかからない。
だから、
一気に見るものとしての必然性が要求される。
二幕の展開部を支えるのは、
こうした必然性である。
Aが起こったからその対抗としてBをする、
しかしCで防がれたため、Dへ変化、
だがDの効果は薄く、Eを投入、
だがFで抵抗され…
のような、詰め将棋になっていなければ、
一連の流れとはいえない。
危機がランダムにやってきて、
反応しているだけ。
だから、一貫した行動がない。
だからライダー側に感情移入できず、
ちっとも面白くならない。
ランダムエンカウントの戦闘を見てるだけで、
倒したらリセット、経験値ゲット、レベルアップ、
みたいな他人のゲーム実況を見てるかのようだ。
全然中に入り込めない。
これはシンウルトラマンでも同様だった。
ザラブ星人、メフィラス星人、ゼットンと、
三色団子を食わされて、
その関連性のないランダムエンカウント、
そのたびのリセットが、
どうにも退屈だった。
つまり、「前に進んでいない」のだ。
映画の面白さとは逆に、
「どんどん前に進むこと」である。
一話完結型のランダム接続は、
三歩歩いて二歩下がる。
だから「どんどん前に進む」話に比べて、
退屈なのである。
僕の失敗から。
「いけちゃんとぼく」は、
一話完結型の原作を、
なんとか「一本の話」にしようと模索した映画である。
ところが制作途中にCG費が3000万なくなり、
いけちゃんの出番が半分になった。
そこで本筋がぐちゃぐちゃになり、
修復しきれないまま撮影に突入した経緯がある。
一話完結型のエピソードを、
最終的には一本化できなかったことを、
僕はたいへん後悔している。
逆に成功例。
一話完結型でない、
連続ストーリーものの、漫画「風魔の小次郎」を、
ドラマ版では一話完結型のスタイルに変えた。
毎回怪人(夜叉)が出てきて、部活という枠組みがあり、
その裏で戦う、というループをつくった。
これがうまく成功した。
仮に原作漫画のように、
ひたすら一連で続きものをつくってたら、
アニメ版のように、よく分からないものになっていただろう。
ドラマにはドラマの、「一話完結ループ」
という強力な構造があり、
一本の話を逆にそこに落とし込めたことが、
ドラマ風魔の成功の基盤になっているわけだ。
さて、
シン仮面ライダーも、シンウルトラマンも、
一話完結型の原作を、
一本の話にしようとして、
その一本化に失敗したシナリオである。
しかも、その一話一話のエピソードが薄くて、
あんまり面白くないのが致命的だ。
蜘蛛男はキャラクターがメフィラス星人と同じで、
ちょっと面白かったが、
エピソード自体は緑川博士の死がなかったら、
何もなかった話である。
蝙蝠男はウイルスの話が全然面白くなく、
せっかく大量に出てきた瑠璃子クローンが水の泡で、
蝙蝠と関係あるんだっけって感じだった。
蝙蝠-コロナのラインは分からなくもないが、
ストーリーに対する必然性はない。
第一、エピソードとしておもしろくなかった。
蠍女はインサート。
蜂女の、友達だった女同士の殺し合いという、
モチーフそのものは面白いが、
いかんせんドラマが全くなくてつまらない。
せめてショッカー組織時代の、
感情移入に値するエピソードがないと、
設定をなぞっておしまいなだけで、
なんの感情移入もないわ。
伏線もないし。
たとえば瑠璃子が、
「もう一人ショッカーから助けたい友達がいる」
というのを最初に前振っていたら、
ずいぶん違ったことになると思うんだがね。
蝙蝠男を省いてまでそちらに尺を使うべきじゃない?
カメレオンカマキリは、
二号ライダーと瑠璃子の死がメインなので、
まあ添え物でしょ。
蝶男は瑠璃子の兄で、
バイクや家族のエピソードはあったものの、
感情移入に乏しく、
そもそも彼の計画がよく分からなかったので、
なんもおもしろくなかった。
つまり、
全部瑠璃子がらみで話をつくってるのが、
面白くない理由かもしれないね。
じゃあ本郷がらみでつくればいいのに。
本郷の兄が一郎でも良かったんじゃない?
警官の父は無能だったと考える兄と、
力が足りなかっただけと考える弟ならば、
対立軸はできただろうに。
(それが面白いか、テーマとしてあり得るかは別)
仮にランダムエンカウントだとしても、
繋がりに必然性があれば、
見ることができる。
すべて瑠璃子にひっかけてしかつくってなく、
本郷猛に貫かれる軸がなかったことが、
ランダムエンカウントゲームの敗因だといえよう。
じゃあどうすればよかったのか?
テーマだと思う。
仮面ライダーのテーマは何で、
どのセンタークエスチョンを解決できれば、
この映画は映画として完璧か?を考えていなかった。
焼き直しまでが精一杯で、
「つくる」まで行っていないことが、
この映画が映画たり得ていない証拠だ。
一話完結型にテーマがないわけはない。
全編通じたテーマ性を持つものもある。
たとえばドラマ風魔。
形式の問題ではなく、
この映画は映画形式になっていなかったことが、
つまらなさの原因になったのだ。
THE NEXTは大きな一つの事件だったような記憶があるが、
もう忘れた。なんか人攫いやってたような。
それがつまらな過ぎて、
じゃあたくさんの怪人のオムニバスにしよう、
となったのかもしれないが、
それはそれでつまらないことが、
わかったかと思う。
そう、このスプレッドは、
最悪つまらない映画「We are little zombies」の、
バンドメンバーのスプレッドと同じ構造だ。
スプレッドが終わるまで話が進まない。
つまり、シン仮面ライダーは、
話が全然進まないつまらない物語である。
逆に、話ってなに?
脱走して、ショッカーに戻って敗北して敗走して、
死んで、再戦するだけだよね。
なぜそうするのかよく分からんかったよね。
2023年03月27日
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