たぶん僕の黙読の速度は、
人より速いと思う。
クラスで同時に配られたプリントを読む時とか、
会議で資料を配られて先に読み終える時とかに、
実感きてきた。
経験的に、黙読の速度は一定じゃない。
内容と関係すると思う。
IQが低い文章が読むのが速くて、
IQが高い文章が読むのに時間がかかる、
というわけでもない。
単純な構造で、平易な言葉に書かれた文章は、
たしかにさっと読めるし、
複雑な構造で、難しい言葉を駆使した文章は、
たしかに解読に時間がかかる。
ところが、
平易で簡単な文だとしても、
真実を突いたような感動する短い言葉は、
味わい、想像するのに時間がかかる。
ほんとうに頭のいい人は、
こうした文章を書くのが理想だろう。
一方、保険の契約書のような、
日本語として最低の文章を見ると、
まず読む気力がなくなって放り投げてしまう。
「読まなくていいや」という点では、
読む速度は∞だね。
さて、本題だ。
僕は読む速度で文章を書きたい。
理想は読む速度そのままだけど、
実際にはタイピングや手書きには時間がかかり、
半分〜1/3程度の速度じゃないかと考えている。
ところが、
書かれる文章にも、
読む文章同様、速度感がある、
と僕は考えている。
僕は脳内発声がない。
(出すことは出来るがデフォルトでない)
読む時は音声に引っ張られずに、
意味だけを読み取ってゆき、
書く時も音声に引っ張られずに、
意味だけを記してゆく。
(このため、ダジャレや掛け言葉、韻などの、
音ありきのものに気づきにくい)
僕は音声に縛られない、
「意味の速度」「意味を組み立てる速度」で、
文章を読んでいる。
そしてそれは、文章の意味の通りやすさによって、
だいぶ速度に変動がある。
こんな風に、
書きたい。
新配列の設計方針に、
「よく出るカナは打ちやすく速い位置に」
「よく出る連接は(同」
「よく出る言葉は(同」
があり、
これ自体は合理だと思うんだけど、
まだ「こんな風に書きたい」には、
届いていないと思う。
・漢字変換が一意に定まらない、
同音異義語でもたつく
(文脈からすれば明らかなのに)
・よく出る連接を集めただけの語が、
必ずしも「速い」言葉とは限らない
の二点があるなあ。
漢字熟語もそうだけど、
たとえば「納める」「収める」「治める」
を選ぶときに、
それより前に税金の話をしてたら、
「納める」を第一候補に出して欲しい。
枠の話なら「収める」を、
占領して統治する話なら「治める」を、
第一候補に出して欲しい。
長い長文の一括変換ではうまくいくだろうが、
「おさめるものは何がいいだろう?」
と書いたとき、
税金の話をしてるのにこれまで一番使った「収める」
が出てくるのは、21世紀とは思えない阿呆さがある。
固有名詞は変換が難しいから、
さっさと確定したいことが多い。
「貴大の顔は暗かった。」と書こうとして、
貴大…たかひろから変換して候補にパッと出なかったので、
きちょう、変換、BS、だい、変換、候補選んで確定
の…無変換確定
かお…まで打ったときに、「顔」と「貌」のどっちがいいかなあ、
と迷う。しかし貌は中2っぽいから顔でいいか、
と変換ノールック確定したとき。
「((^^v♪」が確定したとき、
てめえいい加減にしろと思い、
そこからまともな心を取り戻すまで、
一時間原稿が進まなかった。
「かお」は顔文字のトリガーなのは分かる。
だけどそれをオフに出来ないのがムカつく。
そもそもお前そんな文章全然書いてないわ。
人が死ぬか生きるのか大事な場面じゃぼけ。
同様に、
カタカナ語をうっかり二回変換して、
全角英語ないし半角英語で確定してしまい、
それを選択再変換してもカタカナに戻らず、
全消ししようとEsc×3打っても入力文字消去にならず
(再変換前の文字列までしか戻れない)、
仕方なくBSで消して、
ひらがな打って変換して、
手癖で確定してしまい、
さっき変換した英語になり、
もう一回ループせざるを得ない現象について、
担当者を腹を切るまで追い詰めたい。
これも英語変換をオフにできるだけでいいのだが。
そもそも日本語中に英語を打ちたい時は、
IME OFFからのqwertyで打つ。
そのスタイルに統一したいだけなのだが。
こうした不具合というか不満を、
ぶつける場がないのが本当に腹が立つ。
クレームを入れたいのだが。
これは論理配列というより、
IMEの問題である。
だけど、「読む速度で書きたい」
ということにものすごく反して、
足を取られまくっている。
第二の論点は論理配列の問題?かなあ。
たとえば薙刀式は拗音がものすごく楽で速い。
しょく、ぎょう、びょうなんてそれぞれ2ストローク。
だからといって、
「職業病」を、ものすごく速く打てる必要はない。
「そんなに速い言葉ちゃうやろ」と思ってしまうことがある。
たとえば頻出二連接のトップ2は、
ょう、ていであるから、
モダンなカナ配列ならば、
これのどちらも打ちやすくしているだろう。
だけど、
提唱、掌底、協定、提供、朝廷、丁重
なんて言葉を爆速で書く理由はない。
これらはどちらかといえば難しい言葉で、
噛んで含めるように読む言葉だろう。
つまり、脳よりも手が速すぎて、
僕は戸惑い、不快になる。
もちろん、qwertyの、
そこ速くなるの?というよく分からない加速部位よりかは、
ずいぶん日本語として合理的だから、
これ自体に異論はないし、
代替案もないので、
どうしていいかはわからない。
今のところゆっくり打つ、という無駄をやっている。
タイピングの理想は、
すべての打鍵の間を詰めていくことだろう。
その結果、等間隔に収束していくだろう。
ところが人間の思考は、
言葉によって速度が変わる、変速読み取りであり、
その通りに変速で書きたい。
この、機械的な合理性と、
人間の本質的な部分が、
喧嘩している。
手書きは一致する。
難しい言葉は漢字で複雑だから画数がかかるし、
そもそもゆっくり書く。
簡単な言葉はひらがなや続け文字や、
略称を使って書いたりする。
この感覚にならないかなあ?
最近毎日小説の清書タイピングをしていて、
その、読む速度と書く速度の、速度密度の乖離が、
たいへん気になった。
だからこうだ、という解決策も浮かばないし、
適宜慣れるしかなさそうなのだが、
途方に暮れてはいる。
タイピングをそれなりに極めようとした結果、
「大した道具じゃねえぞ」に、
辿り着きつつある。
2023年03月28日
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