自キ入門で、はんだ付けが(心理的)障壁になってるのは、
とてもわかる。何せやったことないし、知らないものだからね。
でもそれが、
「部品同士を金属経由で電気的に接続すること」
と理解できれば、
電気接着剤、くらいに考えられると思う。
もちろん、専門的な知識はある程度いるんだが、
誤解をおそれて「詳しくは調べて」という記事よりも、
いや、はんだなんて、
新しい種類の電気的接着剤なんです、
という方が、「やれそう」と思えると思う。
そこは言葉の魔術師がフォローしてやるべき部分だ。
もちろん、300度に加熱することの危険は、
注意しすぎてしすぎることはないし、
部品同士をそこまで加熱することの、
手先の器用さ的な難しさはあるものの、
一旦「両方の部品を300度まで加熱、
そこに300度の液体金属を渡して酸化被膜を張り、
自然冷却して固体化する」
という原理さえわかれば、
あとは自力理解できると思うんだよ。
それよりももっと大事なことは、
はんだ付けは電気的接着と脳の領域を開けることで、
「電子回路というものは、
部品を接続した電気で動くネットワークである」
という理解ができることかな。
だから、部品として、
キースイッチ、ダイオード、マイコン、
TSSR端子などがあり、
電気的に接続すれば回路として完成する、
ということが理解しやすいのではないかと思う。
はんだ付けスキルそのものはたいして重要ではなくて、
部品同士の電気的ネットワークが、
キーボードを形成している、
という理解こそが、
自作キーボードの基礎になる考え方だろう。
それはつまり、部品を変えたり、
ネットワークを変えれば、
キーボードの挙動が変わることを意味するわけだ。
じゃあこれをこうしたらこうなるだろう、
あれは動いてるから、その部分だけこっちに組み込もう
(つまりコピペしよう)、
なんてことが可能になる、
と理解できるはずである。
自作キーボードのおもしろいところは、
これまで「ひとつのもの+せいぜい有線コード」
だったキーボードが、
「部品の集合体」に分解する、
その瞬間ではないかと思う。
キーボードいじりを始めれば、
キーキャップは交換できるし、
(対応してれば)キースイッチも交換できる。
なんなら基盤ごと別のケースに移植することだって、
可能であることが理解できるはずだ。
じゃあさらに基盤の中までいじろうぜ、
ということが出来るのが、
自作キーボードというわけ。
そんな風にして、
「ひとつのものだったものが、
実はパーツごとに分かれてて、
それらの機能の集合体であった」
と理解することが、
大袈裟にいえば自然科学がやってきたことだ。
分解と部品とシステムの理解、とでもいえるかな。
これまではキーボードというひとつのものだったが、
それらはオカルトではなく、
理解できる分解可能で再構成可能なものとして、
キーボードを捉えることが可能になるわけ。
その、認識の変化、
パラダイム転換こそが、
自作キーボードの一番のエキサイティングなことだ。
それを、はんだ付けを怖がることで、
見逃してることが実に勿体無いと思うんだよね。
はんだ付けはあくまで電気的な接着剤。
そう考えれば、
あとは「ある狙いを持ってパーツを組むこと」こそが、
自作キーボードの醍醐味であることがわかるだろう。
もちろん、それには設計の知識や、
どのパーツがどのように機能してるのか、
という詳しい知識が必要になるのは当然で、
でもキーボードのことを理解したいなら、
どのキーボードでもそういう原理で動いてるんだからね。
僕らは理系だから、
世の中のあらゆるメカがそうやって動いてることは、
日常レベルで意識している。
でも文系はそうじゃないらしい。
ひとつのものはひとつのものとしてしか認識してなくて、
それらがパーツで組まれてるシステムだと理解していない。
パソコンが壊れたらパソコンを買い替え、
車が壊れたら車を買い替え、
服がダメになったら服を買い替えるみたい。
パソコンのうちモニタだけ直せば全とっかえの必要はなく、
車のバッテリーを充電すれば全とっかえの必要はなく、
服のボタンを付け直せば全とっかえの必要はない、
かもしれないのに、
「ひとつ」と認識してるとそうなるっぽい。
人間だって骨や筋肉や内臓からできてるのに、
他人は「ひとつ」のものとして認識してるっぽいね。
見た目や機能はひとつなのに、
中身はパーツと回路の集合体であり、
それらは分解したり交換したり拡張可能である、
そういう風にキーボードを捉え直すこと自体が、
おもしろいと思うんだよな。
それが面白くない人は、
自作キーボードむいてない。
はんだ付けが障壁になり続けてくれて、
余計な阿呆が入ってこないのはとてもありがたい。
2023年03月29日
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