Twitterから。
> 音楽に向かって子どもを育てることの第一歩が歌であり、子どもが楽器を手にする前に歌いながら楽譜を読むことが必要だ。
僕は楽譜が読めない。だから楽器も出来ない。
なんなら声変わりで笑われて歌にコンプレックスを持ち、
30くらいまで音楽に積極的に触れなかった。
だから僕の音楽は、声変わり前までの感情なんだよなあ。
僕はシナリオを楽譜によくたとえる。
楽譜が読めないと音楽ができない。
同様に、シナリオが読めないと映画ができない。
「シナリオが読める」とはどういう状態か?
文章を読んでストーリーがわかる、
ことは最低限必要だ。
だがそれだけではない。
絵や音のついてない状態で、
絵や音をつけられるか?を含む。
でも容易に考えられる通り、
同じシナリオでも千差万別の絵と音をつけられる。
監督のセンスによっていかようにも変わるし、
ベストオブベストは人によって異なる。
あるシナリオだけを手に入れて、
その映画版を見て、
「想像できなかった、俺には想像力が足りない」
と反省することは構わないが、
「だから俺はシナリオが読めてない」
とは異なる。
さて、
ここからが本題だ。
シナリオが読めるとは、
「どのような音や絵が来たとしても、
このシナリオが意図した通りに作られてれば、
おもしろいぞ/つまらないぞ」
と判断できる力のことだ。
シナリオとはつまり、
どんな絵や音だとしても、
意図した通りにできてれば、おもしろいように書くのだ。
だから、絵師や音師よりも、立場が上なのだ。
シナリオはつまり、意図のことである。
そして、
「私はこのような意図でこれを書いた」とは、
直接シナリオに書かない。
すべて間接的に書くか、書かない。
それは、
「物語とは読み取る」ものだからだ。
なぜこの人はこの時こんなことを言ったのか?
ああ、こういうつもりだったからだ。
なぜこの人はこんなに激情なのか?
ああ、こういう理由だからだ。
なぜこんなことになってしまぅたのか?
ああ、これが足りなかったからだ。
などのような、
すべてのなぜに答えられるように、
シナリオはできているものだ。
このなぜを、シナリオから読み取れるか、
という読解力そのものが、
「シナリオを読める」ということである。
シナリオの読める人は、
だから、シナリオを再構築できる。
たとえば、シーンを別場所へ移動できる。
深夜のオフィスでの密会が、
オフィスがNGになったとしよう。
じゃあ深夜のホテルや、深夜の屋上や、
深夜の路地裏に変更できるな、と思いつけるか、
ということだ。
それはもともとの意図が、
「普段働いてるところで誰もいない場所」
という意図ならば、
オフィスじゃなくてロビーでもいいし、
社食でもいいかもしれないし、
廊下でも非常階段でもいいかもしれないわけ。
深夜が無理なら、休日の、とか正月の、
でもいいわけ。
それは、意図を読めてるかどうかに関係する。
つまり、
意図があり、その表現媒体として具体
(柱やセリフや動線)があるわけだから、
意図と表現を、ペアとして理解できてるかが、
「シナリオが読める」ことである。
シナリオが読めてれば、
こうした、パーツによるバラシと再組立ができる。
もちろん、建築者としてのセンスはあろうが、
意図通りに別の具体を使って再組立は可能なはずだ。
つまり、
同じストーリーを複数パターンのシナリオに、
書き分けられるはずである。
楽譜と音楽の関係も、たぶんそうだと思う。
楽譜が読めるとは、
単に音階と音長の再現ができるだけではなく、
アレンジしたりループしたり、
その曲の持つ意図を壊さずに、
うまく変形できる能力のことをいうのではないか?
アレンジャーとメロディメイカーの関係もそうだろう。
メロディメイカーはシナリオの意図、
アレンジャーはシナリオの具体に相当する。
僕は楽譜が読めないのだが、
間違ってたら教えてください。
音楽ができる人は、
おそらく頭の中に曲を流せると思う。
僕はできない。
その曲の自由なところに移動して再生できるだろう。
僕はできない。
なんなら逆再生もできるだろう。
僕はできない。
同時にふたつの曲を流せるだろう。
僕はできない。
あるいは、
あるブロックを入れ替えたり、ある音を別の音にして再生して、
良い悪いを判断できるだろう。
僕はできない。
ある部分をアレンジしたら意図が変わってしまうとか、
いや意図通りである、という判断もできるだろう。
僕はできない。
だけど、シナリオに関してはこれがすべてできる。
ていうか、それが出来ないと、
シナリオが読めるとか、書けるとかいわない。
人間というのは万能ではないから、
僕が楽譜に関して何もできないのは興味深い。
そして楽譜に関して完璧な人が、
シナリオに関して同等のことができる保証もない。
適材適所というやつだね。
だから僕は音楽畑の人と接点があまりなく、
こうした話を深くすることが出来ないのだが、
横から見てる限りたぶん同じことのジャンル違いをやってるんだろうな、
ということは理解している。
楽譜はメロディの流れ、
シナリオはストーリーの流れ、
を扱うだけで、
本質的には同じ様式であるなあと。
間違ってたら指摘してください。
さて、
あなたの中にはシナリオが渦巻き、
再編成され、よりよき形へ収束するだろうか?
僕はそれを手でやるより、
頭の中でやったほうが手早く済むと考えている。
忘れるのでメモくらいは必須だけど、
色々練るのは頭の中だけでやるのが一番良い。
なぜなら頭の中で音が鳴る作曲家と同じで、
頭の中でストーリーが展開するからだね。
メモは忘れないための手掛かりでしかない。
そうして「できた」ときに一覧するプロットに書き、
できてないならまた頭の中で色々やるんだよね。
2023年03月31日
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