2023年04月01日

うんちくはいらん、ただし

伏線になってるうんちくはいる。


描こうとする世界についてのうんちくを、
語りたくなることはよくあることだ。

とくに世界の設定部分や、
ちょいちょい現れる一休みのところに、
そうしたことを挟むことで、
豊かに見えることがある。

逆に、それがないと味気のない、
ただのプロットを追いかけた、
滋味のないものになるかも知れない。


だが、
原則、そのうんちくを全部取り除いても、
ストーリーそのものに影響がないことに注意されたい。
魅力的で、力強くて、
夢中になれるストーリーがあれば、
うんちくは0でも済む。

そんなパワフルなストーリーでは、
うんちくはむしろ邪魔な、
ストーリーを減速させる要因になる。
そんなことやってないで、
さっさと先を見せろ、となるのが理想である。

ということは、
うんちくは、
ストーリーがうまく進まないことの、
誤魔化しとしてインサートされている、
ということである。

うまく進まないからなんか時間を使って気分を変えたろ!
というわけだ。

それがバレてるよということ。


うんちくのいいところは、
なんだか豊かになること。
逆にいうと、
ストーリーが豊かでないから、
その成分を入れて誤魔化してるわけ。
まあ味の素みたいなもんだな。
素材に旨味が足りてないんだわ。


例外が唯一ある。
それが伏線になっている場合だ。

登竜門ってさ、そもそも鯉が滝登って竜になるんだってさ、
といううんちくは、
のちに何かの伏線になっている、
たとえば鯉がマジで滝登りするとか、
ひよっ子が成長するとかがあとでなければ、
削除して良い。

逆算すると、
あとで行うことに対して、
的確なうんちくを探してくるとよいわけだ。

味の素を入れることで味がしてる気になるだけ。
ほんとうのうんちくは、あとで使われるものだけである。


劇中にうんちくが出てきた時点で、
「オッこれは後で使う伏線やな」と見切られるか、
「ただのハッタリやろ?あとで使う要素ないもんな、
こいつ下手やから必死で見る意味ないな」と見切られるかの、
どちらかでしかないということ。

そもそもそれが読めないやつはシナリオを読めてない。
それが読めるやつに、うんちくは効果的でないということ。

つまり、
うんちくはあまり意味がないんだよね。


え?庵野脚本?
下手の極み。
posted by おおおかとしひこ at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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