伏線になってるうんちくはいる。
描こうとする世界についてのうんちくを、
語りたくなることはよくあることだ。
とくに世界の設定部分や、
ちょいちょい現れる一休みのところに、
そうしたことを挟むことで、
豊かに見えることがある。
逆に、それがないと味気のない、
ただのプロットを追いかけた、
滋味のないものになるかも知れない。
だが、
原則、そのうんちくを全部取り除いても、
ストーリーそのものに影響がないことに注意されたい。
魅力的で、力強くて、
夢中になれるストーリーがあれば、
うんちくは0でも済む。
そんなパワフルなストーリーでは、
うんちくはむしろ邪魔な、
ストーリーを減速させる要因になる。
そんなことやってないで、
さっさと先を見せろ、となるのが理想である。
ということは、
うんちくは、
ストーリーがうまく進まないことの、
誤魔化しとしてインサートされている、
ということである。
うまく進まないからなんか時間を使って気分を変えたろ!
というわけだ。
それがバレてるよということ。
うんちくのいいところは、
なんだか豊かになること。
逆にいうと、
ストーリーが豊かでないから、
その成分を入れて誤魔化してるわけ。
まあ味の素みたいなもんだな。
素材に旨味が足りてないんだわ。
例外が唯一ある。
それが伏線になっている場合だ。
登竜門ってさ、そもそも鯉が滝登って竜になるんだってさ、
といううんちくは、
のちに何かの伏線になっている、
たとえば鯉がマジで滝登りするとか、
ひよっ子が成長するとかがあとでなければ、
削除して良い。
逆算すると、
あとで行うことに対して、
的確なうんちくを探してくるとよいわけだ。
味の素を入れることで味がしてる気になるだけ。
ほんとうのうんちくは、あとで使われるものだけである。
劇中にうんちくが出てきた時点で、
「オッこれは後で使う伏線やな」と見切られるか、
「ただのハッタリやろ?あとで使う要素ないもんな、
こいつ下手やから必死で見る意味ないな」と見切られるかの、
どちらかでしかないということ。
そもそもそれが読めないやつはシナリオを読めてない。
それが読めるやつに、うんちくは効果的でないということ。
つまり、
うんちくはあまり意味がないんだよね。
え?庵野脚本?
下手の極み。
2023年04月01日
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