肉を焼くときにそうするならば、
物語でも同じだろう。
どんなに美味く、栄養になる肉だとしても、
食べきれない大きさなら意味がない。
がっつき、ギリギリ食べきれるようなものなら、
まあわざとそうしている、とも言えるが、
どう考えても無理な大きさのものならば、
適切な大きさに切り分けてから出してあげるべきだろう。
登場人物が多い場合。
テーマが複雑多岐にわたる場合。
説明がとても難しい場合。
殺人トリックが複雑なとき。
ショックが強すぎる展開。
一気に把握して、消化しきれないものならば、
切り分けてあげるべきだ。
どうやって切り分けるか?
全部を均等に小さくすると、単純に痩せたものになるから、
これは下手な切り方だ。
どこを切らないでどこを切るかを考える時は、
どこは大事でどこは大事じゃないか見極めることだ。
そして、
分かりやすくすることは切ることだけではない。
足すことで分かりやすくなることもある。
結果ボリュームは増える。
それでもその量があるべきならば、それでいいと思う。
そのボリュームで全体量が多いかな、と思えば、
どこかを削ってカットしたほうが食べやすくなるだろう。
その量を食べないと食べたことにならない、
という超ボリュームならば、
それをちゃんと事前に分るものにしよう。
上映時間3時間半とかね。
大盛定食があとでものすごい盛りだと分っても、
手遅れだからだ。
理想は腹八分目だ。
つねにそれが想像できるような量だけを与えよう。
大盛定食は満足するが、
全員が満足する量とは限らない。
もちろん、大盛りがほしい人だけがウチの食堂に来ればいいんだ、
という割り切りもあるが、
出来るだけ色んな人が楽しめたほうがいいじゃない。
食堂ならばレディース定食とおっさん定食を分けることが可能だが、
物語というものはオリジナルをひとつとする世界である。
だから、
その見極めがとても大事だ。
どれくらいの量に切り分けて出すか?
ということがだ。
一度もそれを考えたことがないのなら、
「提供する」ということに対して、何も考えていなかったということだ。
あなたのつくったものが、
全員にきちんといい形で消化されるイメージをしよう。
別に丁寧に切り分けてあげなくても、
ドンと塊肉で出して、
ただしよく切れるナイフとフォークを渡す、でも構わない。
なんにせよ、一口まで切り分けらるように、
消化できるような形に、
出来るようにしておかないと、
せっかくのストーリーが右から左に抜け落ちていくぞ。
一回の鑑賞で満足できないように、
複雑な仕掛けをすればリピーターが来るんじゃないか、
という心配はいらない。
ものすごく純粋に楽しめたものを、
もう一度リピートするほうが楽しいぞ。
消化不良じゃなくて、完全昇華をするものをつくるべきだ。
その為には、食べやすい大きさが重要ということだ。
おかんは息子を腹一杯食べさせようとして、
めちゃくちゃご飯つくるじゃない?
おかんの愛情だからわかるんだけど、
それは食堂の盛りとしては過剰なんだよね。
おかんのご飯は明日に残せばいいが、
食堂のは捨てちゃうからね。
ちょうどいい食堂を目指そう。
2023年05月02日
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