2023年05月02日

食べやすい大きさに切れ

肉を焼くときにそうするならば、
物語でも同じだろう。


どんなに美味く、栄養になる肉だとしても、
食べきれない大きさなら意味がない。
がっつき、ギリギリ食べきれるようなものなら、
まあわざとそうしている、とも言えるが、
どう考えても無理な大きさのものならば、
適切な大きさに切り分けてから出してあげるべきだろう。

登場人物が多い場合。
テーマが複雑多岐にわたる場合。
説明がとても難しい場合。
殺人トリックが複雑なとき。
ショックが強すぎる展開。

一気に把握して、消化しきれないものならば、
切り分けてあげるべきだ。


どうやって切り分けるか?
全部を均等に小さくすると、単純に痩せたものになるから、
これは下手な切り方だ。

どこを切らないでどこを切るかを考える時は、
どこは大事でどこは大事じゃないか見極めることだ。
そして、
分かりやすくすることは切ることだけではない。
足すことで分かりやすくなることもある。
結果ボリュームは増える。
それでもその量があるべきならば、それでいいと思う。

そのボリュームで全体量が多いかな、と思えば、
どこかを削ってカットしたほうが食べやすくなるだろう。


その量を食べないと食べたことにならない、
という超ボリュームならば、
それをちゃんと事前に分るものにしよう。
上映時間3時間半とかね。

大盛定食があとでものすごい盛りだと分っても、
手遅れだからだ。

理想は腹八分目だ。
つねにそれが想像できるような量だけを与えよう。

大盛定食は満足するが、
全員が満足する量とは限らない。
もちろん、大盛りがほしい人だけがウチの食堂に来ればいいんだ、
という割り切りもあるが、
出来るだけ色んな人が楽しめたほうがいいじゃない。


食堂ならばレディース定食とおっさん定食を分けることが可能だが、
物語というものはオリジナルをひとつとする世界である。
だから、
その見極めがとても大事だ。

どれくらいの量に切り分けて出すか?
ということがだ。

一度もそれを考えたことがないのなら、
「提供する」ということに対して、何も考えていなかったということだ。

あなたのつくったものが、
全員にきちんといい形で消化されるイメージをしよう。
別に丁寧に切り分けてあげなくても、
ドンと塊肉で出して、
ただしよく切れるナイフとフォークを渡す、でも構わない。
なんにせよ、一口まで切り分けらるように、
消化できるような形に、
出来るようにしておかないと、
せっかくのストーリーが右から左に抜け落ちていくぞ。


一回の鑑賞で満足できないように、
複雑な仕掛けをすればリピーターが来るんじゃないか、
という心配はいらない。
ものすごく純粋に楽しめたものを、
もう一度リピートするほうが楽しいぞ。
消化不良じゃなくて、完全昇華をするものをつくるべきだ。

その為には、食べやすい大きさが重要ということだ。


おかんは息子を腹一杯食べさせようとして、
めちゃくちゃご飯つくるじゃない?
おかんの愛情だからわかるんだけど、
それは食堂の盛りとしては過剰なんだよね。
おかんのご飯は明日に残せばいいが、
食堂のは捨てちゃうからね。

ちょうどいい食堂を目指そう。
posted by おおおかとしひこ at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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