説明の下手な人と、上手な人の違い。
説明の上手い人は、
それが説明シーンであると分らない。
あるいは、説明シーンだと分っていても引き込まれる。
それはなぜかというと、
「グッと来る」からだ。
情緒に訴えたり、感動したりして、
それが単なる説明シーンではなく、
ストーリーの一部になっているから、
説明シーンだと気づかずに、ただ夢中になっているだけなのだ。
それが出来ない人は、
説明はハイ説明、グッと来るところはグッと来るシーン、
みたいに分離してまっているんだよね。
だから説明シーンは(相対的に)退屈になってしまう。
じゃあ、説明シーンをグッと来るようにすればいいだけ。
でもそれが出来たら最初からしているから、
それが出来ないときのテクニック的なもの。
「グッと来ない説明シーンは切る」というものだ。
完全に切ったら説明として意味をなさないので、
注意しながら、
「最小限の説明にとどめる」ように書き直す。
よくあるのが、
「自分的にはうまく説明したようなシーン」で、
意外とだらだらと書いたわりには、
長々とした説明にすぎず、
結局ストーリーは一歩も動いてなくて、
グッとも来ないエピソードばかり、
ということが稀によくある。
おや、結構書いたのに、そんなにグッと来てないな、
と判断したら、
それらを全カットして、
ただの一行(数行)程度の説明シーンにしてしまう、
という手があるよ、
というのが本題である。
それは、過去の自分へのダメ出しである。
だらだら書いたわりに魅力がないんだから、
じゃあ説明は説明と割り切れや、
ということでしかない。
出来るだけ一行二行にまとめて、
次のグッと来るものまでの時間を縮めなさい、
という現実的な方法論である。
理想は、
説明シーンですら魅力が溢れ、
グッと来て、心が動くエピソードになっているべきである。
しかしそれは難易度が高く、上級者向けだと思う。
だとしたら、現実的な中級者は、
説明ははしょらずにちゃんと誠実に、
出来るだけテンションを下げずにすっとやる、
ということを考えたほうがよい。
もちろん、これを説明するための、
よりグッと来るエピソードがあればいいよ。
たとえば、
「そこに立ち入ってはならない理由」を説明するために、
過去のトラウマを回想して、
恐怖を思い起こさせるようにしたり、
泣けるエピソードからそこは無理、
と思わせるようにすることはとても良いが、
だらだら書いたわりにそれの出来がいまいちということもある。
だったら、「立入禁止」の札を掲げているところから始めて、
さっさと本編に入るべき、
ということを言おうしている。
それらをカットして、「立入禁止の札。」
「放射性物質廃棄場所の札。」
などと書き直すのも、
リライトでは非常に重要な判断だ。
それらをカットすることで、
テンションの下がりは最小限になり、
次のグッと来るものまでが早くなり、
全体的に密度が上がるだろうね。
余った尺で、もう一個いいエピソードを追加できるかもしれないしね。
上手な説明が出来ないなら、
下手なりにスマートな説明を。
そして、上手な説明を目指そう。
2023年05月05日
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