リライトのときにこれが出来るか、出来ないかだ。
観客はつねにストーリーを予想しながら見ている。
「これはこうなるんだろうな」
「まさかこれはこうならないだろうな(なったらどうしよう。むしろなれ)」
「真ん中くらいまで来たな」
「いよいよ最終決戦だ」
「犯人は多分あいつだ」
「多分あいつは謝らない」
などである。
何度も書き直すリライトでは、
これを忘れてしまうことが稀によくある。
自分はストーリーを分ってしまっているから、
それをどうこうしようとしてしまう。
観客はつねに初見である、
ということをわすれがちで、
ちょっとしたどんでんでも驚く、
などを忘れがちなんだよね。
それを忘れない為には、
観客の予想を予想しながら読めるか、
ということなんだよな。
これは、自分の予想(初見での予想と、
何度も読んだあとの予想しない自分)と、
初見の観客の予想を、
分離しながら読めるか?ということだ。
つまり、予想を二本立てで並列しながら、
読むことが可能か?ということだ。
あなたが初見であれば、
あなたの予想と観客の予想は同じだろうか?
そうではない。
特殊な人と、一般的な人の差だ。
平均的な予想と、あなたの予想は異なることもある。
だからつねに二つの予想が、
読みながらなければならない。
俺の予想はこうだが、
普通はこう予想しているだろう、
ということだ。
これが出来ない人は、
たくさんの観客の前に出すものをつくれない。
俺はこう思うからこれ、しかつくれない。
多くの人はこう予想するから、
それを上手に誘導して、
意外な展開にするとか、期待通りにして拳を握らせる、
とかが出来ない。
逆に、それが出来るということは、
予想を予想しているからだ。
その勘が、話が上手いかどうかの、
センスという言葉の一部だろうね。
第一稿では、
自分が予想しながら書くから、
観客の予想はある程度織り込める。
しかしリライトを始めると、
その予想を忘れてしまって書き直すことが、
稀によくある。
あれ? 俺予想を予想しているかな?
と自問自答しよう。
観客が今何を予想しているかつかめていないなら、
そのリライトは迷路に入っているよ。
2023年05月06日
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