2023年05月20日

悲劇をひっくり返せるのは、若い力だけだ

なぜ映画や物語が若者のものなのだろう。
老人は諦めてしまうからじゃないかな。


物語は悲劇が必ずある。
それをどうにかして成功や幸福に導こうとするのが、
物語だといってもよい。

ざっくりいえば、
最初のほうに逆境があり、
最後のほうに成功があり、
その過程が物語であると言える。

つまり、物語とは、いかに逆境を成功に変えたか、
という例を創作することに他ならない。


で、それが可能なのって、
若者だけだと思うんだよね。

世の中がある程度分ってしまうと、
「そんなの無理だよ」って思ってしまうことは多い。
そこで我儘を言わずに自分を引っ込めて、
我慢することが「大人になること」だともいえる。

しかし若者はそれが理不尽ならば素直に怒ることが出来る。
そこが、世界を変える原動力になるんだよね。


若者は分っていないし、不分明だし、聞き分けが悪いし、無知である。
だけど、
だからこそ、諦めが悪く、
パワフルで、勢いがあると思う。

ここでいう「若者」は、年齢のことではない。
心持ちのことを言っている。
子供でもすでに若者ではないやつもいれば、
老人でも若者の心を保っている人もいる。

ざっくり言えば、
「長いものに巻かれる」とか、
「処世術」とかをはねつけるやつが、
若者なんじゃないかな。

ということで、少なくとも物語の中では、
若者は行動して、無茶をして、
世界をいい方向に変えてゆく。



悲劇は最初のほうだけとは限らない。
途中で悲劇が起こることもある。
それが主人公が行動を起こした結果だということもある。

だけどそれに腐らずに、
行動を続けたやつだけが、
最終的に幸せをつかむ。
物語の中ではね。
もちろん、現実でもそうありたいが、
それはめったに起こらないから、
みんな映画を見たいんだよね。

だから、「そんなわけないだろ」という大人の冷笑を、
どれだけひっくり返せるか、
という若者の無謀なパワーこそが、
物語の原動力で、作品の力なのだ、
と思うと、分りやすくなるのではないだろうか。


それを書くには、
「かつて若者だった大人」が、最適じゃないかな。
両方分っている、ってことだからね。
単なる経験不足の若者だと、
経験豊かで冷めた大人たちに響く物語が書けない。
単なる老人では、
若者が世界を変えることをあきらめている。
なぜなら自分が出来なかったからで、
リアリティがないからだ。
それに、若者のような、理由のない高揚感などもうないだろう。

だから、情熱と冷静の間で、
物語は書かないといけないんだよね。


物語とは悲劇だ。
悲劇を幸福に変える、若者のものである。
それが、人々に希望を与えるのだ。
それが一番難しくて、価値がある、王道というものだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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