なぜ映画や物語が若者のものなのだろう。
老人は諦めてしまうからじゃないかな。
物語は悲劇が必ずある。
それをどうにかして成功や幸福に導こうとするのが、
物語だといってもよい。
ざっくりいえば、
最初のほうに逆境があり、
最後のほうに成功があり、
その過程が物語であると言える。
つまり、物語とは、いかに逆境を成功に変えたか、
という例を創作することに他ならない。
で、それが可能なのって、
若者だけだと思うんだよね。
世の中がある程度分ってしまうと、
「そんなの無理だよ」って思ってしまうことは多い。
そこで我儘を言わずに自分を引っ込めて、
我慢することが「大人になること」だともいえる。
しかし若者はそれが理不尽ならば素直に怒ることが出来る。
そこが、世界を変える原動力になるんだよね。
若者は分っていないし、不分明だし、聞き分けが悪いし、無知である。
だけど、
だからこそ、諦めが悪く、
パワフルで、勢いがあると思う。
ここでいう「若者」は、年齢のことではない。
心持ちのことを言っている。
子供でもすでに若者ではないやつもいれば、
老人でも若者の心を保っている人もいる。
ざっくり言えば、
「長いものに巻かれる」とか、
「処世術」とかをはねつけるやつが、
若者なんじゃないかな。
ということで、少なくとも物語の中では、
若者は行動して、無茶をして、
世界をいい方向に変えてゆく。
悲劇は最初のほうだけとは限らない。
途中で悲劇が起こることもある。
それが主人公が行動を起こした結果だということもある。
だけどそれに腐らずに、
行動を続けたやつだけが、
最終的に幸せをつかむ。
物語の中ではね。
もちろん、現実でもそうありたいが、
それはめったに起こらないから、
みんな映画を見たいんだよね。
だから、「そんなわけないだろ」という大人の冷笑を、
どれだけひっくり返せるか、
という若者の無謀なパワーこそが、
物語の原動力で、作品の力なのだ、
と思うと、分りやすくなるのではないだろうか。
それを書くには、
「かつて若者だった大人」が、最適じゃないかな。
両方分っている、ってことだからね。
単なる経験不足の若者だと、
経験豊かで冷めた大人たちに響く物語が書けない。
単なる老人では、
若者が世界を変えることをあきらめている。
なぜなら自分が出来なかったからで、
リアリティがないからだ。
それに、若者のような、理由のない高揚感などもうないだろう。
だから、情熱と冷静の間で、
物語は書かないといけないんだよね。
物語とは悲劇だ。
悲劇を幸福に変える、若者のものである。
それが、人々に希望を与えるのだ。
それが一番難しくて、価値がある、王道というものだ。
2023年05月20日
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