2023年05月01日

テーマを履き違えている(「聖闘士星矢Beginning」評12)

そろそろ疲れたので、最後に監督インタビューを見つけたので、
それを貼って議論しておきたい。
https://eiga.com/news/20230410/6/
映画.comのこのインタビューを正しい(誤訳などがない)と受け取る限り、
この監督は二つの重大な過ちを犯している。

> 「聖闘士星矢」のテーマ(自己犠牲と贖罪)
1. 原作のテーマは自己犠牲と贖罪ではない。どういう読解力?
2. 仮にこの映画を自己犠牲と贖罪をテーマにした新しい物語にした、
 と仮定しても、「自己犠牲と贖罪をテーマにした傑作」になっていない。


まず2の論点から。

自己犠牲と贖罪とは誰のプロットラインか?
明らかにこれは星矢ではなく、
シエナ(沙織)のプロットラインだ。

母親が失った両手を、
女神の力?で元に戻したことが、
その解決である。(贖罪の表現)

自己犠牲とは?
人間の都合を捨てて、女神として生きることを受け入れる、
だろうか?
その映画的表現はなく、
髪が紫になっておしまいだった。

たとえば、
人間でいるときは行儀が悪く、
果物をかぶりつくような女だったが、
女神としてナイフとフォークで食べる、
みたいな象徴表現に落としていたわけでもないし、
そもそも、
「私は人間として生きたいのに、
自己犠牲なんて嫌!」からの、
「自己犠牲最高!」に至る、
人間ドラマはなかった。

ん?

どこに傑作性が潜むのだろう?

シエナのストーリーとしてうんこだし、
星矢のストーリーじゃないかぎり、
これは地下闘技場の戦士星矢の物語ではなく、
お嬢様シエナの物語だから、
「ナイツオブゾディアック」じゃなくて、
「ビカムアテナ」というタイトルにするべきだ。

そしてそれにしてはお粗末な話しかなかったよね。
単なる夫婦喧嘩だし。

「両腕を失った」のは設定だけで、
そのシーンもないし、
メカの手だから愛する人も抱きしめられない、
みたいな苦悩があったわけでもないし。

ちっとも母親に感情移入できないし、
娘にはさらにだ。

贖罪って両腕をふっとばしたこと?
それを治したこと?
ブラックジャックで30分くらいで終わりそうな話を、
二時間に引き延ばすから退屈なんじゃない?

バトルに尺を取られることは言い訳にならない。
だって間が多くてすごく退屈だったもの。


脚本論的にいうと、
「二人会話シーン」がやたらと多かった。
海辺で星矢とシエナが語るのは二回あったし、
星矢とマリンが座禅組んで話すのもあった。
これは下手くそ脚本の見本なんだよね。

普通やっちゃいけないシーンと言われる。
ただ会話する人はいない、
何かをしながらやるべきなんだ。
人は別れ話すらコーヒーを飲みながらじゃないと出来ないよな。

このシーンをみて、
一回はまあしょうがないと思ってたけど、
三回もやるなよへたくそとブーイングだね。
だってこの三回で、
一度も感情移入できなかったもの。

ふつう、
何もせずに語るだけのシーンは、
これまで誰にも言えなかった秘密の告白など、
人間的にとても重要なシーンが多い。
だからグッと来ることが多いんだけど、
かの3回のシーンは、
ただ設定を説明している、
説明シーンだった。
だから退屈なんだよ。


そして前にも議論したが、
星矢にストーリーが足りないのは、
そもそもの原作の欠陥だ。
なぜそれを補わなかったのか、
バランス感覚を疑う。



1の論点。
海外に聖闘士星矢がどのように受け入れられたのかは分からないが、
聖闘士星矢って基本「友情、努力、勝利」がテーマの、
ジャンプ漫画じゃん。
その一変形で、
ギリシャ神話モチーフ、聖衣アイテム、
必殺技あり、ステゴロ、という要素を足しただけの、
番長漫画だぜ。

それをどう誤読したら、
自己犠牲と贖罪の物語になるというの?

全然信用できない。
「友情、努力、勝利」というテーマで始まったが、
最終的には自己犠牲(星矢はハーデス編で死んでおしまい)
になるストーリーだ、
という新解釈を披露して、
それに従って作るなら理解できるが、
ジャンプテーマを無視してまで、
自己犠牲と贖罪ととらえるのは、
読解力なさすぎじゃない?


少なくとも、わがままだった星矢が、
自己犠牲を覚える、というストーリーにするならば、
地下闘技場で踊るように逃げていた理由が意味不明。

地下闘技場でやりたい放題の跳ね返り坊やが、
世界を救うという使命を知り、
次第に己よりも大事なものがあることに目覚めていく、
という枠組みになるはずだ。

それが聖闘士星矢かといわれると微妙だけど、
少なくとも「自己犠牲」という軸は通っている。
それが面白いか?といわれると、
第一の論点になるわけ。



で、「自己犠牲と贖罪」が、
聖闘士星矢を現代に実写化するテーマとして、
噛み合ってるか?と思うと、
僕は首を捻る。


さて。

この監督は読解力も表現力も、
全然なかったのでは?
監督ガチャに失敗したようだな、77億のギャンブルは。



最後に、
おれにやらせろ、
と手を挙げて終わるとするか。
posted by おおおかとしひこ at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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