2023年05月01日

そもそも外挿に失敗したストーリーである(「聖闘士星矢Beginning」評13)

僕はポセイドン編で聖闘士星矢は決定的に失敗したと考えている。

内輪揉めの高校部活内でレギュラー争いする話から、
日本一大会、世界大会へ世界を広げていくのが、
少年漫画の王道で、
それを世界の外挿ということにしよう。
ポセイドン編はまさにそこで挫けた。


「天球には88の星座があり、
そのひとつがお前の運命なのだ」
が、
基本的な聖衣と持ち主の関係だ。

これは12星座占いと同じで、
宿命性を感じられる、とても良い設定だった。
しかも88もモチーフがあるから、
ネタ放題だぜうひょーという、
うまいこと見つけたなあ、
という基本設定であったように思う。

黄金聖闘士までは基本その流れだった。
黄道十二宮が一番上のカテゴリで、
青銅と白銀はまあその他の雑魚で、88-12=66いる、
みたいに思われていた。

だから、
そのピラミッドを駆け上がっていくことは、
県大会、全国大会を勝ち上がっていく面白さと同じで、
だから星矢が人気爆発したのは、
黄金十二宮編だ。

ここで少年漫画のセオリーならば、
世界大会編に行く。

だけど世界大会編は失敗しやすい。
これまで「世界設定の基盤」だった日本を離れて、
さらにでかい設定の基盤をつくらないといけないからだ。
これを世界の外挿と呼ぼう。
(あとづけの一種)


たとえば「はじめの一歩」は、
リカルドマルチネスの存在、
伊達エイジの敗北で、
うまく外挿に成功した。
しかしそのあと、ブライアンホークで「?」となり、
その後世界の外挿に失敗し続けて失速した。

世界戦のリアリティが急に描けなくなったのだろう。

わかりやすい例は、
「進撃の巨人」の、
壁の中と外の差だ。
壁の中にいるころは、世界の全てが壁の中で、
人類や世界は壁の中だけと考えられていた。
だから「人類が滅びぬために!」が盛り上がった。

だが壁の外に出た瞬間、
急に設定がふわふわになり、
外にも人類や世界があることになってて、
マーレ編なんて退屈の極みだった。
これも、世界の外挿に失敗した例だ。

小さな世界の中にいた頃の、
外はこうなってんだろうなあ、
という空気と異なると、
外挿は失敗するように思う。


さて聖闘士星矢だ。

僕はポセイドン編の失敗は、
「世界に88ある天球の星座」ではない座が、
海闘士の星座だったことにあると思うんだよね。

海闘士も、冥闘士も、
全員88星座でやった方がよかったのでは?
と今でも思っている。

88星座が、一女神であるアテナのもので、
他のよくわからん神が、別の星座体系を持ってることが、
僕は変だと思ったんだよね。
ポセイドンだろうがハーデスだろうがゼウスだろうが、
この天球儀は同じだろうと。

いや、星空は同じだが、
海の民は別の星座を見出していたのだ、
たとえばペルセウス座は、
海の民にとってはスキュラ座なのだ、
みたいな嘘設定さえあれば、
○○座の海闘士といわれても、うまく外挿できたかもしれない。

あるいは、
たとえばインディアンは別の星座を見出していたし、
日本でも別の星座はあったろう。

なのに、海系のファンタジー生き物を、
急に持ち出してきたことに、
問題があると僕は考えている。

聖闘士たちが「○○座の」と、星座を残してるのに、
海闘士は「クラーケンの」と、星座じゃないんだよね。
じゃあ星座はなんなん?とよくわからなくなる。
アテナと星座が対応してなくね?
アテナは地上の神だったら、空の神はどうすんの?みたいな。


世界がうまく広がらなかったんだよな。
星座縛りはだから、聖闘士星矢の基本世界観だと思うんだが、
そうなっていなかった。


ここで外挿が失敗して、
うちうちの話と外の話が、
うまくつながらなかったんだよね。

だから僕はリアタイでは、
ポセイドン編のどこかで脱落した。
カノンの陰謀だったとwikiを読んで知ったが、
全然覚えてなかったわ。
で、神衣って設定もあったなあ。

オリンポス十二神はいいと思うけど、
88の星座はどこいったんや。
そのモヤモヤが、
世界をうまく設定できなかった原因だろう。



この映画は、実は6部作なんですって?

1: 星矢とアテナの目覚め
2: 5人の戦士たち
3: 黄金十二宮編
4: ポセイドン編
5: ハーデス編
6: クロノス編、ゼウス編(オリジナル?)

という構想だったのかしら。
たぶん、ポセイドン編で同じところでこけるぜ。
まあ1が面白くなかったから、
この構想もこれで終わりだろうが。


そもそもさ、
「人には宿命があり、その星のもとにうまれた」
のは、水滸伝の108の星の話じゃんね。
(それを遅ればせながらハーデス編で使ってて、
遅すぎやろと感じた)

水滸伝で急に、108とは別に、
98ぐらいありましたって言われても興醒めじゃない?
そういう感覚だよね。

108の裏108がありました、
108とは別に、2300ありました、
ならちょっとたぎるかもね。
そこすらもうまく拡大しないと、
外挿は失敗するんだよな。
posted by おおおかとしひこ at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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