2023年05月31日

リードと加速感

加速する物語はとても面白い。

それってどういうことだろう?


私たちの体内時計よりも、
展開が速かったときに、
その加速感を感じるはずである。

体内時計は一定のリズムだろうか?
たぶん違うと思う。
安静にしている心拍数があったとしても、
最初から飛ばしたらあがって、
それがベースの心拍になるし、
最初がゆっくりならそれがベースになる。

だからゆっくりから入って、
どんどん速くすれば加速感があるし、
速いのから入って落とせば、
減速感があるだろう。


これは、リードに似ている。

男子なら経験があると思うが、
女子がヒールを履いてきて、
全然自分より遅い時に、
相手のペースに合わせることを思い出すとよい。

あるいは、自分より小さな犬を散歩させるときでも良い。

小さき者をリードする時、
相手のペースを見て、それに合わせるのが原則だ。
無理なペースなら死んじゃうし。

しかし、そのペースを守ることが正義か?

向こうが走りたいな、と思ったら、
走らせてあげるのもリードなんだよね。
向こうが休みたいな、と思ったら、
休ませてあげるのもリードなんだよね。
向こうが物足りないなと思ったら、
加速するのもリードだ。

50を終始キープすることがリードではない。
80、100、30、10なんかをぶっこんで、
ペースチェンジを楽しませることが、リードだ。

僕はドラマーじゃないから分からないが、
たぶんドラマーも同じことを考えていると思う。
オーディエンスの心拍数を、
どう上げ下げするかを考えていると思う。


だから、
加速感をつくるときは、
リードしてるか?が大事なんだよ。

単に展開を速くすればいいというものではない。
速くなったはいいが、
アッサリでつまらなかった、ってこともあるんだよ。


その感覚はどうやったらわかるか?
その感覚を感じながら名作を見るしかない。
名作を死ぬほど楽しんだあと、
展開のペースチェンジを学ぶしかない。

加速してるぞ、というときはどういうときか?
どれくらいの加速感覚か?
減速したときはどうしてるか?
再び加速する時はどうしてるか?
なんてことを観察しておくんだ。



単に加速していくだけだと、
そのうち壊れる。
ドラゴンボールの青天井は、
サイヤ人編で一旦終わりだし、
そのあとのセルフリーザで立て直したが、
ブウはどうしようもなかった。
チェンジペースに、ブウで失敗したわけだ。
(もっとも、鳥山明自身はピッコロあたりで限界を感じてたから、
そのあとよくあそこまで持ったものだ。
まあ本人も壊れたんだろうが)

車田正美も「なにい?」で加速していく達人だったが、
たとえば原作風魔では反乱篇で大減速したし、
原作星矢ではポセイドン編で大減速だった。

アクセル踏みっぱなしは若さの特権だけど、
激突して壊れるか、
ブレーキ踏んでダメかの二択なんだよな。

それよりも、アクセルブレーキを巧みにつかって、
ラストまでスリリングに駆け抜けることが、
シナリオに求められることなんだよね。


加速はよい。
しかし加速には限界があり、
リミットで壊れる。

どこまでを加速して、どこで止めるか、
そして一旦スローバラードにして、また加速して、
一旦休憩して考えさせて、
徐々に加速していって…
みたいな、チェンジペースの計画が重要だ。

横軸に時間、
縦軸に盛り上がりなんかをよくグラフにするけど、
この「盛り上がり」は、加速度なんじゃないかと僕は考える。

ポジティブをプラス、ネガティブをマイナスにとったり、
ストーリーの進展をとって右肩上がりにしたりするが、
それはイマイチ直感と反するグラフになる。

加速度を縦軸にすると、わかりやすくなるのでは?


また下ネタになるが、
SEXのピストン運動だと思えば良い。

加速し続けたらおしまいだし、
チェンジペースをうまくやるべきだし、
ラストは死ぬまで加速だよな。
最初から加速するやつは早漏だし、
加速から減速に至った時、
そのスローが楽しめず、
次の加速の予感がないと退屈だ。

SEX、音楽、スポーツ、そしてストーリー。
リズムのあるものは共通の原則があると思う。
それは受け手が人間だからだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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