理屈ではいいはずなのだが、
感覚がいやがるS裏「ね」の考察。
僕の苦手なS裏。
A版では「め」(0.7%)、
D版では「み」(0.7%)、
F版では「ね」(0.4%)と、
統計から見たら、
明らかに「ね」のほうがマシになるはずなのだが、
何度やってもS裏の「ね」がしっくり来ない。
この原因を知りたい。
・「ね」は連続シフトが多いから疲れる
(疲れるのは親指では?)
・「ね」は短時間に連発しやすいから、統計以上になる
(年関係の文脈、口語連発の文脈)
という仮説を立てているが、
よくわかっていない。
「俺の使う文章では、実は『ね』が多いのだ」
という仮説を立てて、
20万字小説でひらがなだけ検索すると、
め515、み513、ね322
と、ほぼ統計通りでびびった。
大数の法則すげえ。
漢字だと、
め…為、試、目
み…見、身
ね…年、粘、眠、寝
がありそうで、新聞記事じゃないから「め」が多そう。
ということで「俺はねが多い」は、とりあえず棄却。
で、自分はSをどうやって打っているか?
を観察する。
僕は左薬指の力がないのだろう。
S単打を打つときは、かなりローリングの力を使っているようだ。
手全体を外回転しながら薬指を動かしてて、
指+手の力を半々使って打っている。
うん、たしかにこれでは遅く、そして弱いだろう。
これを指だけで打てるように鍛えない限り、
一生こうやって打つのだろう。
さて、シフトSは?
左親指でシフトすることが多い。
で、左親指でブレーキがかかるのか、
ローリングなしでSを打っている。
ふむ、だから疲れるっぽいな。
ローリングの力を使えないんだからな。
だけどこれで「ね」が疲れる、
という印象になるのがよく分からない。
印象論なのか?
実は全部疲れてる可能性もなくはないが、
それで「ね」だけ嫌な理由は?
ちなみに、
それ以下の頻度は「む」(0.3%)、
「ぬ」(0.01%)しかない。
で、「ね」「む」を交換して、
,裏を「ね」にしたバージョンを試すと、
今度は,裏の右中指が痛くなり、
0.1%の差を中指が感じてんのか?
と疑ってしまう。
2000字書いて2回くらいしか差がないはずなのに、
一体これはどういうことか?
ここで、Rayさんの「語尾は倍速で打ちたくなる」
という話を思い出す。
「ね」が終助詞として語尾につきやすいことは明白で、
つまり俺は、速く「ね」を打ちたいのでは?
つまり頻度よりも「ね」の負荷が高いのでは?
という仮説が出てくる。
実際の速度は変わらないのだが(指の限界で)、
気持ちだけは先走り、
結果ブレーキがかかっているようになり、
それで不快感の記憶が強いのではないか?
という仮説が成り立つ。
たしかに薙刀式では、
助詞はほとんどが人差し指中指に集中してて、
繋ぎの語である助詞は、高速で打てる。
それに対して「ね」が左薬指という例外、
なわけか。
「ね」はかつてP裏の右手にいた。
しかし拗音のために「ゆ」をP裏にしたので、
はじかれたのだ。
そして「む」の右中指下段がよかったので、
左手に出されて放浪の旅に出た。
「ね」の位置は、
左手だとR裏が良いと感じていて、
それは人差し指で助詞を使えるから、
という理由が出てきた。
ちなみに、
薬指小指で他に繋ぎの語があるかを探すと、
へ、つ(まり)、(か)ら
くらいだが、これは全てマシな指である右薬指。
むむむ。
なのに「ね」を苦手な左薬指にしているから、
S裏「ね」がよろしくないのかもしれない。
以上の考察が正しければ、
薙刀式の「繋ぎの語」理論により、
「ね」の位置はR裏が正しい、
と感覚を理屈で説明できたかもしれない。
となると、
A版
ね
め
み
か、
D版
ね
み
め
か、
D2版
め
み
ね
のどれかが答え、
と絞ることができる?
感覚ではA版かD版。
しかしそれではS裏の負荷が(以下ループ)
このループを抜け出すには、
登場人物を変えるしかない。
「む」「め」の左右の手の交換(B版)や、
「む」「ね」の左右の手の交換は試したが、
これだと右手の負荷が上がり過ぎる。
これでマイナー系の全組み合わせは尽くしたのかな。
準マイナーを動かさないと、
決着はつかないのだろうか?
「め」か「み」が50音からなかったら、
完成だったのに…
俺の指の力より、カナが1個多かった、
というオチなのかしら…
S裏「ね」はこうして棄却されたが、
じゃあどうしましょ。
2023年05月05日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック