「普通の人のqwerty動画」だな。
比較対象が、
チョッパヤタイパーと、
動線最小で結果的にタイパーに追いつく動画勢だったのが、
素人向け動画じゃねえな、
ということに今気づいた。
たとえばタイプウェルSJくらいの、
「まあ、速いですけど」
くらいのqwertyの一般人を混ぜたら、
「どれくらい違うのか?」
が明らかになった気がする。
若者でもいいし、おっちゃんでもいいけど、
「私はあんまり得意じゃないんで」という人と、
「まあまあ速いです」という人とを比べると、
どれくらい違うのか、
全部同じ土俵で比較したかったなあ。
そうすれば、
「qwertyで速くなるのは、
相当な困難を伴う」ことが、
より想像しやすいと思うんだよね。
「俺と対して違わない」と思うなら、
動画撮られてみろよ、って感じ。
主観で速くても、客観で見ると大したことない、
ってことは往々にしてある。
「鏡の中だけでイケメン」現象がある。
俺の中では俺はもっと薙刀式で高速で打ってるけど、
それって漢字変換の時間を意識から落としている気がする。
実際はこんなもんかー、という発見は、
実は配列勢にも重要だと思うんだよね。
で、
もし、タイプウェルSJの人と、
ほとんど変わらないという結論であってもいいと思う。
競技タイピングは、じゃあ何を競ってるんだ?
と、一段議論が深くなるからね。
あとは、qwertyのSJと、
新配列のSJくらいの人がいるとして、
そこに至るまでの修練の差が違うなら、
新配列は客観的に有効だし、
大して変わらないなら、
速度競争ではなく、
主観的な気持ちよさこそが新配列のアイデンティティになり、
「書きごこち」に対するボキャブラリーを、
増やしていくべきでは?
と僕は考える。
実は今回の発明は、
「日常文」というワードだと僕は思っている。
これまでコピー打鍵、コピー文に対する対義語は、
「創作打鍵」「創作文」であった。
これは小説やエッセイなどの、
クリエイティブなことを想像させるため、
「自分の思うことを書く」という、
コピー元の違いをうまく説明できていなかったように思う。
もちろんコピー打鍵と対義語になったほうが議論しやすいとは思うが、
「日常文」という言葉は、
今最も広く使われているキーボードの役目、
「自分の思うことや、書くべきレポート的なものを、
自分の文章で書く。
業務や日常の砕けかは問わない」
を想像できるため、
対義語というよりは、本来の役目はそれじゃね?
という意味合いになったので、
結構いい役割を果たしてるなあと感じている。
日常文が本来大事で、
コピー打鍵や速度競争はあくまで特殊例だぞ、
という風にもなったし、
大事な日常文に、タイパーの修練はやっぱり役に立ってるな、
までわかりやすくなったと思う。
あとは、じゃあタイパーの修練のない、
普通の人の日常文はどれくらい?
を見てみたくなったな。
そもそも議論の出発点が動画化されていないのは、
片手落ちだなと感じました。
誰か普通の人、あげて!
ビジネスタイピング一級、
コピー打鍵が700〜800字(変換後)/10分だから、
これくらいになるの?
それとも考える分遅くなるの?
ちなみに俺×薙刀式は、
1800〜1200(平均1500くらい)です。
2023年05月10日
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