2023年06月19日

そこだけ別の窓が開いている

フィクションの面白さとはこれだと思う。


窓を開けたら異空間に繋がってて、
そこを探検する感じ。

ほんとにそうだったら、
帰ってこれるのか、
元に戻るのか、
心配で何もできないが、
30分後、2時間後、
元に戻ってこれてその窓も閉じることがわかってれば、
そこで思い切り飛べるというものだ。

物語とはそのようなものである。

どんな酷いことがあっても、
どんな苦しいことがあっても、
2時間後には窓は閉じて、
もとの景色になるのだ。


チャンネルのザッピングをイメージしよう。
「なんかないかな」って探してるとき、
リアルで今その辺にありそうなもので手が止まるかな?

珍しくて、ヘンテコで、
怖そうで、この世と違いそうな、
何かで手が止まるのでは?

それを用意しなさい。
それをヒキという。

せっかく引いても、
嘘くさかったり、ご都合だったりすると、
チャンネルを変えられてしまうね。
映画館だったら逃げられないから、
退屈で怒りを溜めるだけになるだろう。


その、
全然違う世界で、
しかもそれがほんとにありそうだと、
信じられる世界。

窓はたくさん開いている。
その中で一番面白そうな窓を、
みんな見るだけである。


ある日窓を開けたら、
いつもと違う異常な世界が広がっていた。
それが毎度毎度物語の始まりで、
その窓が閉じる時、
いつもの日常に帰ってきたが、
まだ体がふわふわしてるし、
まだあっちに心がいる感じがする、
のが、毎度毎度物語の終わりである。

色んな窓が開いては閉まる。
まるで違う世界を、窓の外へ。
posted by おおおかとしひこ at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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