宗教または物語しか、これに答えることは出来ない。
フィクションの中で、
誰かが死んだとしよう。
その死に何の意味があったのか、
物語中で答えるべきだ。
そうでないと、
その人の死は何の意味もなくなってしまい、
それはすなわち、
我々の死は何の意味もないということと、
同義になってしまう。
フィクションでなく、
現実に誰かが死んだとしよう。
その死に意味があるか?
を答えるには、宗教の答えを待つしかない。
人の死は、耐えられない痛みと悲しみを伴う。
それを乗り越える力を与えるのは、
宗教と物語だけだと思う。
そもそも、
「あの人は星になった」とか、
「あの人は天国で私たちを見守ってる」も、
「ひどいやつは地獄に落ちたのだ」も、
物語である。
「あの人の命で、たくさんの人が助かった」
「彼の示した道を、我々は継いで行く」
「安心して、僕たちは大丈夫」も、
物語である。
つまり、
リアルであろうと、フィクションであろうと、
人類は、
死を物語で乗り越えるしかない。
人間の生に意味はあるか?
これは、死に意味があるか?
を反転した問いにすぎない。
どちらに答えても構わない。
答えを用意できない物語は、
きっと腑抜けだろう。
その強度を、物語は持たなければならない。
2023年06月20日
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