2023年06月20日

死より価値のあることは何か

宗教または物語しか、これに答えることは出来ない。


フィクションの中で、
誰かが死んだとしよう。
その死に何の意味があったのか、
物語中で答えるべきだ。

そうでないと、
その人の死は何の意味もなくなってしまい、
それはすなわち、
我々の死は何の意味もないということと、
同義になってしまう。

フィクションでなく、
現実に誰かが死んだとしよう。
その死に意味があるか?
を答えるには、宗教の答えを待つしかない。


人の死は、耐えられない痛みと悲しみを伴う。

それを乗り越える力を与えるのは、
宗教と物語だけだと思う。

そもそも、
「あの人は星になった」とか、
「あの人は天国で私たちを見守ってる」も、
「ひどいやつは地獄に落ちたのだ」も、
物語である。

「あの人の命で、たくさんの人が助かった」
「彼の示した道を、我々は継いで行く」
「安心して、僕たちは大丈夫」も、
物語である。

つまり、
リアルであろうと、フィクションであろうと、
人類は、
死を物語で乗り越えるしかない。


人間の生に意味はあるか?
これは、死に意味があるか?
を反転した問いにすぎない。

どちらに答えても構わない。

答えを用意できない物語は、
きっと腑抜けだろう。
その強度を、物語は持たなければならない。
posted by おおおかとしひこ at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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