ああ、また創英角ポップが街を汚している。
デジタルは人を幸せにしない。
この場合は、表現に詳しくない人に表現の道具を渡してしまった罪だ。
「わたしでもできる」をデジタルは可能にしたが、
「(形式的には)できたけど(内容的に)できていない」ゴミを、
世の中に大量に生み出した。
もしこんなことがPCで出来なかったら?
プロの看板屋か、
手書きの注意書きになっただろう。
手書きでやるとしよう。
昔なら毛筆だ。
達筆の人がえらかった。
この文言を書くかな?
お願い
大変申し訳ありませんが、
売り場内へペットを入れ
ないようお願いいたします。
これを全部書かないと思う。
全部毛筆で書くのは難易度が高いからだ。
お願い
売り場内へペットを
入れないでください
ぐらいじゃない?テンマルもいらないよね。
これを「洗練」という。
言いたいことが山ほどあっても、
出力がそれより小さい場合、
表現において洗練がおこる。
アナログはとくにめんどくさいし、
失敗したらやり直しだから、
なるべく一気にサッとやりたい。
そうなると、
事前に沢山考えて、
なるべく短く、しかし誠意はこめて、
そして勢いのあるような、
文言を考えるのに時間をかける。
その時に自動的に洗練が起こるんだね。
さらに洗練しよう。
表現を煮詰めていくとよい。
これは何を言いたいのか。
ペット入店禁止
だろう。
じゃあこれを達筆で書くとしよう。
一行で書く?
読みやすさを考えて、
ペット
入店禁止
と二行で書くだろう。
で、手書きならば、
「一行目と二行目の上下を揃えたくなる」。
なので、
「ペット」の文字をやや大きくするはず。
しかし多分ピンと来ない。
言いたい方は入店禁止だからね。
「入店禁止」も言葉としてちょっとキツいかな。
そこで思いつく。
ペット
お断り
だ。
これなら文字数も揃う。
そして毛筆で書いてみる。
自然と、「お」「り」を、「断」より小さくして、
結果「断」は大きくなる。
したがって、
ペット
断
が目に留まるようになり、
「最速のコミュニケーション」ができあがる。
これが、アナログによる洗練である。
日本語は筆文字で発展した言語である。
漢字を大きめに書き、
ひらがなで語尾を繋ぐ言葉である。
だから、大きめの漢字だけ見ていけば、
大体文意が通るようになっている。
上の二行で言えば、
大 漢字 見 、
大体文意 通 。
みたいなことだね。
筆文字によるアナログの洗練が起きた言語だから、
そのように扱わなければならない。
さて。
デジタルである。
活字による活版印刷は、
筆文字による続き文字の洗練が行われていない中国で生まれ、
ブロック体の英語圏で発達して、
それがPCになった。
つまり、
PCによるワープロデザインは、
ブロック体、等幅等大の文字を連ねていく。
だから、洗練が行われない。
人に意味を伝えるデザインでは、
最小の労力になるようにするべきで、
筆文字ならば自動的に洗練せざるを得ない。
それが、デジタルでは行われない。
もちろん、
これらのことを知ってる人が、
洗練を重ねて、
ペット
断
に至ることは可能だ。
(ちなみに僕の好むA1明朝というフォントは、
漢字が少し大きめなんだよね。
日本語を分かってるフォントだ)
だけどほとんどの人は洗練という技術を知らないために、
お願い
大変申し訳ありませんが、
売り場内へペットを入れ
ないようお願いいたします。
なんて下手な文章を書くのである。
そして、なんだか伝わらないなあと思い、
「文字を太くしよう」と思い、
何も知らずに一番太い、
創英角ポップを選ぶのだ。←いまここ
(このフォントを選ぶ人に理由を聞くと、
「一番太かったから」が理由で、
「ダサいけどしょうがない」は入ってないことが多い。
まず我々のセンスで落とされる「ダサさ」は、
マイナスと感じてないんだよね)
伝わるためには太い字が良い、
などと考える人は、
大声で怒鳴ればいうことを聞く、
と思っている幼稚な人間である。
言い方ではなく、
言うことがごちゃごちゃしてるから、
どんなことをやっても無駄だし、
輪をかけて大声に、
そしてダサくしている。
洗練とは引き算である。
これは、足し算のデザインだ。
かくして、
言いたいことが洗練されてなくて、
やたらと文字数が多い、
しかも伝わらない不安から、
創英角ポップにまみれたクソ貼り紙が街に増える。
さらに色を派手にして、シャドウや囲み文字にしてね。
デジタルは人を幸せにしない。
素人は黙ってろ!と怒れないわけだ。
勝手にやっちゃうからね。
もし創英角ポップを使いたくなる時があったら、
毛筆で書いてみるとよい。
あまりにもめんどくさくて、
文言を洗練したくなる。
その時に、
はじめて表現のスタートラインに立つことになるだろう。
表現のスタートにも立ってないものを氾濫させる、
原理的にクソ製造機の、
どこが人を幸せにしたのか?
最初の問題に戻ると、
看板屋のプロに頼んでた案件だよね。
みんなが創英角ポップ貼り紙をつくるから、
町の看板屋さんは潰れたんだぜ。
プロを殺した意味で、
デジタルの罪はとても重い。
素人は黙ってろ。
それか達筆で書け。
2023年05月26日
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