映画はコンセプトがしっかりしていることが大事だと思っている。
コンセプトは、企画性といってもいいだろう。
ストーリーともプロットとも違うものだと思う。
「正月映画は大型時代劇で」もコンセプトだし、
「恐竜がCGという新技術でまるで本物みたいに」も、
「〇〇が脱ぐ」も、
「正体を知らずに会って義兄弟になってしまった二人が、
互いに宿敵と知る」もコンセプトだ。
つまり、「それを知ったらおもしろそう」と思って、
引きつけられて、
見てみよう、と思える何か、
でいいと思う。
まずそれが出来ていないと、
そもそも興行として弱い、ということだ。
そしてそれがストーリーと関係してくるのが最高だ。
「〇〇が脱ぐ」というコンセプトは、
映画だろうがAVだろうが関係ないし、
脱ぐシーンを見たら終りなので、
映画である必然性がない。
だから、「ああ脱いだ脱いだ」がピークで、
その前も後もどうでもよい、とさえいえる。
「すごい映像」もそのうちだ。
その映像自体はすごいかもしれないが、
それがストーリーと関係なかったら、
それを見たらおしまいになってしまい、
もう帰ってもいいですか、になってしまう。
つまり、コンセプトには二種類ある。
点と線である。
点のコンセプトは、
映画でなくても成立してしまうものだ。
だから、映画ならではのコンセプトというものは、
線になるように、
ストーリーに関係するものであるべきだ。
しかし、そういうものを考えることはなかなか難しいよね。
だから価値がある、と思ったほうがいい。
「RRR」の、
「正体を知らずに会って義兄弟になってしまった二人が、
互いに宿敵と知る」は、
ストーリーのほんの最初の部分だが、
それだけでも面白く感じる。
一体どうなってしまうのだろう?
という引きがある。
そして、あとはダンスやアクションなどの、
インド映画特有の点をちりばめれば、
もう見たいとなるはずだ。
つまり、コンセプトは、
線を中心に点で飾り付けたもの、
と考えてよいだろう。
「トップガンマーヴェリック」では、
「凄腕パイロットがついに現役復帰できると思ったら、
実行不可能なミッションのために、
ひよっ子たちに飛行技術を教える羽目に。
失敗したら教え子を死なせることになる」
というコンセプトで、
「あのトップガンの続編!」
「かつてはトム・クルーズは教え子役だったが、
年を経て教師役になるのだ!」
「戦闘機を役者が実際に飛ばしてコクピットを撮影」
「海軍全面協力」
「あの歌も流れるぜ!」
なんかが点のコンセプトになるわけだ。
もしここで、線のコンセプトがなかったら?
単なる点の集合体になってしまい、
映画ではなくなってしまうと思う。
そして、そんな糞作品がたくさんある。
「人気芸能人がたくさん出る!」
「意外な〇〇役!」
「主題歌は〇〇!」
「人気原作の実写化!」
「人気シリーズ最新作!」
などなどなどなど。
中心となるコンセプトが欠けている、
ドーナッツのようなものだから、
出し物としての中心がないんだよね。
逆に。
中心がはっきりしていて、
とても面白いコンセプトならば、
点をたくさん盛ることは可能だ。
点を持ってくる人はたくさんいる。
しかし、線を思いつき、つくることが出来るのは、
脚本家だけである。
「こういう話はおもしろいんじゃないか?」
とまずは考える所からだ。
「こういうシチュエーションになって、
こういう破目になるんだ」
という所だろうね。
「で、どうなるの?」って聞きたくなるようならば合格だろう。
もちろん、
それがどういう解決をして、
どういう中身があるかは、これから考えるんだろうけどさ。
コンセプトを決めよう。
そのコンセプトは線かな?
ストーリーの引きになる部分の線かな?
そうじゃない限り、
おもしろそうな話とは言えない。
点だったら、それをチェックしたら終わりになってしまう。
線のコンセプトは、
部分でありながら、ストーリー全体に影響を与える面白さになる。
だから力があるし、
だからつくるのは難しい。
「自衛隊が戦車ごとタイムスリップして、
武士たちと闘う」(戦国自衛隊)
なんてコンセプトはそれだけで面白いよね。
こういうやつを思い付いたやつだけが、
傑作をものにするチャンスがある。
しかし、
それが実際に面白くなるかは、
その一億倍くらい難しい。
それも、やってみればわかるだろう。
僕のアイデアノートには、
そういう形にならなかったアイデアのゴミが、
たくさん書かれている。
いつか芽が出るかも知れないし、
なににもならないかも知れない。
それよりももっといい種を思い付くかもしれない。
そして、おもしろそうなコンセプトは、
企画会議で分りやすく、
宣伝もしやすい。
口コミも分りやすい。
そういうものを考えようぜ。
2023年06月28日
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