配列の全体像、全体理論ができあがると、
あとは個別の単語対応になってくる。
だから配列論は、発展すればするほど、
盛り上がらなくなるという逆説。
たとえば昨日僕は、「吹きだまり」
という言葉の運指が気になった。
「ふき」「だまり」自体は多分これまでも打ってきたけど、
「ふきだまり」と5連で組み合わせたことのない言葉だった。
でも、
頭が「行けるやろ」と思う速度ほど、
手が出せずに、おやっと思って、
その場で何回か練習すると、
頭で想像した速度が出るようになった。
たぶん、この複合の神経ネットワークのようなものが、
繋がったのだろう。
言葉はこうしたネットワークを形成する。
頭の中でのネットワークほど指が繋がってなくて、
でも指が覚えればそれは頭と連動するようになる。
こんな感じの現象が、
配列制作の後期には沢山起こる気がする。
で、
その時に行ける言葉と、
行けない言葉が出てきて、
それでマイナーカナの微調整を延々やることになるのだろう。
でもそれって個別の言葉が出てこないとわからないし、
個別の言葉に対応してる感じになって、
グローバルな理論まで還元できないので、
ローカルな各個撃破みたいに見えてしまい、
やってる方も見てる方も、
小せえところでちまちましてんなあ、
って思ってしまう。
これは言葉の学習そのものかも知れない。
小学生のうちは大切で本質的な言葉をならい、
それを組み合わせるだけで遠くまで行けるようになるが、
大人になるにつれて、
その網目を細かくすることだけをやっているような、
そんな感覚。
まあ、だから、
大人の言葉に関する話は、
あるひとつの言葉についての話が多くて、
言葉全体にはなかなか波及しないよね。
配列というのが言葉をつくるための道具であるからには、
この、
言葉に関する運命と相似形になるのは、
当然と言えば当然だろう。
しかし配列作成初期のような、
ドラスティックな議論や改変がなくて、
派手なドーンがないのは温度が低くなりがちだなあ。
なんてことを、「ふきだまり」を何回か打ちながら思った。
もうメジャーな言葉に関しては、
薙刀式になんの文句もなくて、
こうしたマイナーな言葉に感して、
調査中、という段階である。
僕が親指シフトに感じた違和感は、
こうした検討を経てない配列だということ。
長年使った熟成のない配列だと感じた。
それは新JISにも、月2-236にも思ったことだ。
飛鳥や新下駄には、
そうした熟成、生焼けではない感じを感じたので、
信用している。
他の触ってない配列についてはわからない。
長年の熟成の結果なのか、
ぱっと作ってその後あんまり練ってないのかが、
配列図だけだと判別しづらいよね。
「熟成○年」みたいな、
ワインとかウイスキーみたいな、
そんな価値が配列にはあるかもね。
親指シフトや新JISは、だから若い状態での、
熟成がうまくいってない出荷みたいな感じを受ける。
(機械計算配列も同様)
だから、
長年シフターやってきた人が、
熟成親指シフトを作るとしたらどうなるんやろ、
なんてことを想像してしまう。
小梅配列のような、
ルールはそのままの単純に文字の並び替えだけで、
熟成って進むのかなあと。
(小梅配列は蜂蜜マトリックスという新たな打鍵方式にハイブリッドすることで、
親指シフトの純粋熟成ではなくなったので、
その後小梅配列が熟成されてたら、
という世界線も面白いかも知れない。
同様のコンセプトに、さら配列、翡翠配列などがあったが、
生まれてすぐに死んだのかな)
ということで、
薙刀式v15は「熟成版」を名乗っても良いかも知れない。
若い酒の尖った嫌なところが消えて、
運指の融合がうまく進んだ感じのイメージ。
円熟版とか13年物版とか窮み版とか、あるかもだ。
最近いいスイッチとキーボードの、
物理がうまく行ってることもあるけど、
ほんとにエネルギーを使わずに打てるようになってきている。
動画映えをしないけど熟成された動きみたいな感じ。
KIHで見れた、大先輩の綾木さんや岡さんのような、
あんな境地になるには、
論理配列そのものも熟成されるべきだろうと思う。
酒じゃなければ武術の達人?
カタナ式だったら上泉伊勢守とか、柳生十兵衛とか、
達人の名前をたくさんつけられたのだが、
薙刀は静御前、巴御前、弁慶くらいしか達人が名を残してないんだよな…
あと近代だと園部秀雄(女性です)、黒部鉄山か…
2023年06月24日
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