2023年06月26日

アドレナリン

ワグネルの反乱、ロシアのヘリ落とされる
→モスクワ侵攻、すわ軍事政権誕生か
→突如やめる、リーダーのプリゴジンベラルーシへ
→プリゴジン消息不明

まるで映画のような展開だ。
事態が大きく動くことがひとつ。
そして何より、アドレナリンだと思う。


生命の危機ではアドレナリンがバンバン出る。
これは心拍数を上げ、瞳孔を開かせ、
反応速度を上げる。
生命の存在確率をあげるためだ。

そして多分この状態は、気持ちいい。

山登りする人になぜ山を登るのか?と聞くと、
都会では得られない命の危険を感じて、
生きてる実感があるから、などと言う。

ギリギリで生きていたいからAhと歌う人たちも同じだろう。

ゲームでも楽しい瞬間は、
余裕勝ちではなく、
「危なかったー」という時だ。


劇場的だ、という条件に、
アドレナリン放出の度合いが関わる気がする。

だってワグネルの反乱で、
かなりドキドキしたものね。
モスクワまであと三時間と言われたとき、
まるで映画を見てるような感覚に陥る。
民衆の歓迎の動画もたくさん出回った。

そこにターニングポイント、
急にやめて亡命。
さらに消息不明というオチまで出てきた。
暗殺されたかも知れないし、
暗殺者が来ない場所に身を隠せたかもしれない。

プリゴジン主人公目線なら、
この数日間はアドレナリン出っ放しだろう。

これこそが、物語の一番おもしろいところだ。

生きるか死ぬかでやってる御仁には申し訳ないが、
我々は安全地帯からそれを眺めることができる。
まるでローマ時代の剣闘士見物だ。

この構造が「劇場」であることに気づこう。


つまり劇場とは、合法的にアドレナリンを出す場所である。

そのように考えると、
あなたの提供する物語にアドレナリンがどれだけあるかで、
金を出す価値があるかどうか測定できるのでは?


かつてギロチンは庶民の娯楽であった。
アドレナリンが出るだけで人は満足するのだ。
その時から人間の本性は変わっていない。
多少の理性や分別があるだけで、
その皮一枚下には剣闘士やギロチンを見たがる本性がいる。


もちろん、
脳内麻薬はアドレナリンだけでなく、
セロトニン、エンドルフィン、ドーパミンもある。
どれを選んでも良いし、パッケージにしてもよい。
posted by おおおかとしひこ at 12:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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